小学生の頃は学校給食があり、中学や高校では弁当を持参でした。わたしの家の弁当のおかずは、学校がある時は、トレースをするようにほぼ毎日同じでしたね。弁当箱といえば全体がベコベコになった深い目のアルミ製で、教科書の半分くらいの大きさだだったでしょうか。
それは、当時の中学生のわたしですら、「年代物」といえるくらいに古ぼけたもので、それを昼食時に開けて食べるのは、かなりの屈辱感があるものでした。さりとて、それを理由に買って貰える筈もなく、出来るだけ目立たないよう、腕で囲いをし、急いで食べてしまうのが常でした。
思うに、わたしの食事の早食いの癖はここに起点があるのかなと思います。
■ 汁が垂れる
わたしの弁当には、真黒な昆布の佃煮がおかずの半分を占めており、残りは竹輪と卵焼きがすべてでした。在学中の何一つ変わることのない内容で、昆布の佃煮の汁が、通学カバンの中で漏れ出して、弁当を包んでいる新聞紙をベトベトに濡らのが悩みの種でした。
ともすれば、汁の汚れが類は教科書にも及びそうになることも。カバンの持ち方にも工夫が必要でしたが、今のように多様に通学カバンに選択性は微塵もありません。平置きにしてカバンに入れられたなら、あるいは避けられたかも知れません。しかし、当時の通学カバンでは、それも叶いませんでした。
即ち、横を向けて入れるのです。それは教科書の入れ方と同じでした。それなら、手持ちでもっていけばよかったのかも知れません。しかし、そのようなことをする男子はおらず、抵抗がありました。
■ 匂いも
それに、弁当というものは、どんなものが中に入って居ようと、何かしらの不快に近い匂いはするものです。わたしの弁当からは、佃煮の匂いしかしたことがありません。その匂いにわたしは慣れていましたが、決して良い匂いではありませんでしたから、人に感づかれたくはなくなかった。特に女子には。
■ 同級生の弁当
昼食時に同級生の弁当を見るにつけ、わたしは深いため息が出そうになりました。それらは、折詰のように、品が豊富で、鮮やかな色合いに詰められているようにすら見えました。少なくともわたしとは雲泥の差がありました。
昔を懐かしんでも、わたしはあの昼の一時だけは、もう一度体験してみたいとは、少しも思わない。