聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

アルミの弁当箱

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どなたかが、メルカリで出していました。イメージはこんな感じ。

画像出典:メルカリ

 

小学生の頃は学校給食があり、中学や高校では弁当を持参でした。わたしの家の弁当のおかずは、学校がある時は、トレースをするようにほぼ毎日同じでしたね。弁当箱といえば全体がベコベコになった深い目のアルミ製で、教科書の半分くらいの大きさだだったでしょうか。

 

それは、当時の中学生のわたしですら、「年代物」といえるくらいに古ぼけたもので、それを昼食時に開けて食べるのは、かなりの屈辱感があるものでした。さりとて、それを理由に買って貰える筈もなく、出来るだけ目立たないよう、腕で囲いをし、急いで食べてしまうのが常でした。

 

思うに、わたしの食事の早食いの癖はここに起点があるのかなと思います。

 

 

■ 汁が垂れる

わたしの弁当には、真黒な昆布の佃煮がおかずの半分を占めており、残りは竹輪と卵焼きがすべてでした。在学中の何一つ変わることのない内容で、昆布の佃煮の汁が、通学カバンの中で漏れ出して、弁当を包んでいる新聞紙をベトベトに濡らのが悩みの種でした。

 

ともすれば、汁の汚れが類は教科書にも及びそうになることも。カバンの持ち方にも工夫が必要でしたが、今のように多様に通学カバンに選択性は微塵もありません。平置きにしてカバンに入れられたなら、あるいは避けられたかも知れません。しかし、当時の通学カバンでは、それも叶いませんでした。

 

即ち、横を向けて入れるのです。それは教科書の入れ方と同じでした。それなら、手持ちでもっていけばよかったのかも知れません。しかし、そのようなことをする男子はおらず、抵抗がありました。

 

 

■ 匂いも

それに、弁当というものは、どんなものが中に入って居ようと、何かしらの不快に近い匂いはするものです。わたしの弁当からは、佃煮の匂いしかしたことがありません。その匂いにわたしは慣れていましたが、決して良い匂いではありませんでしたから、人に感づかれたくはなくなかった。特に女子には。

 

 

■ 同級生の弁当

昼食時に同級生の弁当を見るにつけ、わたしは深いため息が出そうになりました。それらは、折詰のように、品が豊富で、鮮やかな色合いに詰められているようにすら見えました。少なくともわたしとは雲泥の差がありました。

 

昔を懐かしんでも、わたしはあの昼の一時だけは、もう一度体験してみたいとは、少しも思わない。

 

 

世界の新コロナ状況(2020/11/22時点)

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画像出典:Yahoo 元データーは外務省

 

■ 世界の新コロナウィルスの感染状況

 ・感染者総数 5,844万人。

 ・死者総数  138万人

となっています。10月下旬から、急増しています。ピークがいつになるのか全く見通せない状況にあります。

 

■ カナダ

もっとも新しい情報では、カナダがトロントを新型コロナウィルスの感染拡大で都市封鎖を行うと昨日発表しました。ロイターの予測では、年末までに現状の4倍に感染者が拡大するということです。

現在カナダは、感染者ワーストランキングで、31位。

 ・感染者総数 32万人超。

 ・死者総数  1万人超。

 

■ アメリ

11月20日(金)に一日の感染者が初めて20万人を超えました。ワクチンの有効性を十分に検証することなく、火急に投与の開始を行おうとするのも、この数字を見れば理解できないでもありません。

 ・感染者総数 1,242万人超

 ・死者総数  26万人超

 

ワクチンの接種による死者が出ても、新コロナウィルスによる死者率を上回ることはないと接種を早めるものと思われます。やむを得ないと言えるかも知れませんが。

 

コロナで死ぬか、ワクチンで死ぬかと選択を迫られたら、ワクチンで死ぬ方を選ぶと言う人の方がはるかに多いと思われ、現在製造承認申請中ですが、早期に認可されることは確実でしょう。

 

ワクチンを接種したからといって、新コロナウィルスに感染しないかといえば、

 

「感染はするが、重症化には至らない」

 

ということで済みそうだという事でしかありませんが。それは、インフルエンザでも同様ですから。

 

 

そのほかの国のピックアップ

 

■ インド

感染者総数でアメリカに次いで世界2位。11月中旬から第2波入りしそうです。それまで右肩下がりだったのですが。人口から言って、アメリカを抜くことは間違いないでしょう。

 ・感染者総数  900万人超

 ・死者総数   13万人超

 

■ フランス

第2波で大騒ぎになりましたが、11月7日をピークに一日の感染者数2万人超まで減少し続けています。

・感染者総数  212万人超

 ・死者総数  4.8万人超

 

■ ロシア

第2波の感染拡大は急で、先がまるで見通せません。一日の感染者数が日ごとに増加しています。11月20日の段階で24,000人を記録し、第1波の倍以上の数字になっています。冬季にあっては、感染拡大は避けられそうにありません。

 ・感染者総数  200万人超

 ・死者総数   3.5万人超

 

■ イギリス

第2波のピークは11月の12日でした。ロックダウンをするしか方法がないとして首相が決断してから、順調に一日の感染者数は減少し続けています。それでも、11月20日で、2万人をこえています。

 ・感染者総数  149万人超

 ・死者総数   5.4万人超

 

 

結局は、個人の心構え頼みです。「後悔先に立たず」にならないように。

 

昼食時間に会話がない

 

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画像出典:Buzzap!


これは、建築関連の個人事業主をしているわたしの友人の愚痴です。

彼は、近年、愚痴をわたしに溢(こぼ)すようになり、その後間もなくして、それは聞かれなくなりました。

 

 

■ 愚痴 昼食時に会話がない

ここ4年位前から、建築現場の昼休みのこと。職人の控え事務所の昼食時間が、水を打ったように静かだというのです。そこに人がいないのかといえば、そうではありません。沢山の職人がいて、食事や休憩をしてはいるのです。

 

ところが、彼らは殆ど会話をしません。以前は、そういう事がなかった。職人同士で色々な話が次から次へと出て、茶かす者もいれば、怒り出す者、笑うものもいて楽しくはないが、にぎやかであった。それがよかったのにと。

 

ところが今は、そのような会話が見受けれれなくなった、、、

 

 

■ 彼らは何をしている?

では、彼らは何をしているのか?といえば、スマホをいじっているというのです。ですから、話しかけても非常に迷惑そうであるか、気が入った聞き方をしてくれない。上の空であるというのです。

 

『仕方がないので、車の中で昼寝している』

 

 

■ 彼はどうしている?

それから半年ほど。友人からの電話。彼は、大手通信キャリアのタブレットをレンタルしているとのこと。要するるに、友人も彼らと同様に、話さなくなったと言います。

 

タブレットも、WI-FI通信無制限に加入したと同時に、格安でレンタルができたようです。これで、めでたく友人は、職人仲間と同様に、工事現場の昼休みを、無言で過ごしているのかと聞くと、

 

『なかなか、快適にみられますよ』

と声は弾んでいた。

『解決はそっちかい?』

と言うと。

『これしか、ありませんがな』

と。

 

「仕方ないけど。それもなあ」

と思う。

ひとり言

 

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画像とは ひとり言 という部分のみが関連します。

画像出典:Amazon


独身時代が長かったせいか、今でもひとり言(ごと)の癖が抜けません。二十歳台前半から一人暮らしを二十年以上も続けてきたせいでしょうか。ただし、一人暮らしの人すべてが同じようになるのか、そうとも思えません。きっと、わたしの特異な習性かもしれない。

 

 

■ 一人住まい

一人暮らしが始まると、外出先から部屋に戻ると、そこは確かにわたしだけの世界でもあったけれど、快適さは微塵(みじん)もなかった。荒涼とした大地の中に立つひと間だけの家のよう。その寂しさは、それまで六人家族での暮らしから急に一人暮らしに移っては、耐え難い淋しさでした。

 

誰に話しかけている訳でもない、また、誰かに聞いてもらいたいと思って言うのでもない、ただ誰かの声が聴きたいという思いだけがありました。そしてそれが、わたしの口から出る自分の声だった、ということになるのでしょうか。

 

『あー疲れた。飯を食う前に風呂にはいるかあ。後の方がいいかな』

『うん、そうだな。そうしよう』

 

部屋に入ると、こんな風な言葉が口を衝いて出てしまいます。その声に無論、誰かが返してくれる訳でも、それをわたしが期待している訳でもない。ただ、そういっていないと、心もとないのです。

 

椅子の上に腰を掛ける時も

『よいしょと。やれやれ、ほんま今日は疲れたわなあ』

こうして、しばらくは何をするでも、考えるでもなく時が経つのに任せていました。

 

■ ひとり言は病気か(色付きは引用文)

ネットを見ていますと、こんな記事がありました。(引用:medical look)

「そもそも、ひとり言は病気なの?」

その質問に答える前に、そもそも独り言とは、どういうものなのでしょう?
一人で過ごしている時間が長くなると、だんだんと孤独感が起こり、考えごとをするようになります。
そのようなときに、無意識に考えを声に出してしまうことを独り言といいます。

 

独り言は、自分の声を聞くことで不安や寂しさなど心理的なストレスを解消し、心と身体のバランスを図ろうとする無意識な行動です。
また、独り言には、考えていることをまとめる働きもあります。


一人で黙々と仕事をするエンジニアなどに多く見られるのですが、彼らは考えていることを音にして整理し、納得して答えを見つけようとしているのです。こういった独り言は病気ではないので問題はありません。

 

(中略)

しかし、次のような症状が現れたときは、すみやかに受診してください。

・突然怒りだす
・一人なのに誰かと会話をしているような話し方をする
・急に笑い出す

 

 

 

■ 自動車の運転の時も

最近はどうでしょう。自動車を運転するときにも、ひとり言は出てしまいます。車は、結婚して初めて買ったのですが、それまでは、時折レンタカーを借ることがありました。レンタカーであっても、今のように家族を乗せた運転の時にも。

 

前を走る車に、

『曲がるなら、もっと左に寄せてからにせんかい!ほんま下手やな』

とか、

 

『危ないがな。急のブレーキ掛けられたら。そんななんもあらへんところで普通ブレーキ踏むか?』

などといった具合です。

 

たまりかねた娘が

『チョト、もっと静かに運転出来へんのかー?』

注意されても一向に治らない。上の色付き引用文を参照すると、わたしはちょっと危ない。

 

 

 

 

 

 

 

京極 娘に怒られる

 

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記念ボトル


昨年、暑い夏の盛りに、娘が会社の研修に東京へ行ってきました。彼女の会社は、年に数回の東京研修がありますが、今年は新コロナ感染症の影響もあり、リモートに替わっています。

 

昨年の研修の土産(みやげ)が、上の画像のようなコーラー缶でした。

わたしは、その綺麗な缶を見ているうちに、飲んでみたいと欲求を抑えることが出来ない。彼女も妻もいない時でありましたが、別にその機会を伺っていた訳ではありません。ちょっと暇だったくらいのことです。

 

『お土産だろうから飲んだって構わないだろう。おいしく頂いたと事後報告をすればいい』

と考えたのは、そうおかしくはないでしょう?

 

 

■ カウンターの上

流しの前のカウンターの上に、そのコーラーはつくねんと置かれていて、男ばかりのむさ苦しい部屋の中にあってあぜやかに目立つ、若い女性のように輝いでいました。

 

 

■ 飲んでしまう

そんな軽い気持ちであった。早速、コップに氷を入れ、キャップをひねる。ピキピキと音がして取れる。この感触の良さ。

 

盛んに泡立つのを見て、早速に一杯を一気に飲み干す。

『くわー。あー うまい!』

と思わず、一人ごちてしまいました。さらに注ぐ。

 

 

■ 娘怒(いか)る

娘が、帰宅して目ざとく飲んだコップを見つけて、つぶやく。

『うん?』

わたしに、視線が移る。

『え、何か?』

 

『ちょっと、あんたわたしが記念に買ってきたコーラーを飲んだやろ?』

『はい、頂きました。お土産(みやげ)なんかなとおも、、、』

彼女の顔がにわかに掻き曇りるのを、わたしは目撃して尋常ではないと察知。

 

『あれは、わたしが記念に買ったものや。この馬鹿!』

『知らんがな~』

が返したただ一言で、

この後に続いた罵詈雑言は語るに忍びありません。

 

 

家の中にある食べ物で、家族が食べてはいけないものがあるのでしょうか?

それが、あるんです。     -らしいー

 

 

蜂の巣と共に家焼ける

 

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スズメバチの顔 アナ恐ろしや

画像出典:四万十町観光ブログ


昨年末、今は家屋の存在しない故郷の菩提寺に年末の挨拶に出掛けたのは、十二月の暮れ近く。住職と互いに近況などを交わす裡に、話は村の様子などにも及びました。

 

『村に何か変わりはありませんか』

と聞くと

『うーん。まあ、若い人がおらん。この村も廃る一方やな。変わったことといえば』

と言って、大きな目を更に大きく見開いて、殆ど毛の抜け落ちた頭を、くるりと撫でまわしました。

 

『火事があってな』

『え、火事ですか?』

わたしの家も父が失火して、全焼したのをはっとして思い出しました。

 

『うーん。エライこっちゃった』

というものの、その詳細をいかにも勿体ぶった風で、直ぐには話さない。もしかすると、個人的な話をすることに躊躇したのかも知れません。

 

 

■ 蜂の駆除

その後の住職の話により火事の原因は、すずめ蜂の駆除依頼で来ていた業者が、煙で蜂を燻そうと焚いた火が家に燃え移って、全焼してしまったという。

 

『え、全焼、、、』

『うん。誰も怪我はせんし、類焼もなかった。ただ、住む家がなくなったんよ』

『じゃあ、どうなるのですか?』

『駆除業者に今、建てて貰ってる』

『蜂は確かに駆除出来たでしょうけど、、、』

 

そのあとは、話も弾まず、奥方にも挨拶をして退いた。業者は、エライ損をしたのかな、と気の毒になりもしました。

 

 

■ スズメバチ駆除業者の年収

このスズメハチ駆除業者(スズメバチに限りません)が、火災保険に入っていたかは、知る由もありません。けれども、業者の年収は2,000万円が相場だとか。失火させた業者は、建て替え費用は痛手であったでしょう。が、見たところ建て替えた家は600万円程度で済みそうな平屋建て。刺されるよりはましだったかも知れませんね。

 

読者の中には、主に初夏から初秋までだけ働いて、2,000万円なら悪くはないと思う方もいると思います。夏の暑さに対する体力が必要でリスクの多い商売ではあるが、転職して段取り良くやれば、いいかもとは思います。

 

 

■ 蜂駆除

わたしが高校生の頃には存在した実家にもスズメバチが巣を作った事がありました。その場所が玄関の屋根の上であり、何とかしようと弟と共に、夕暮れから駆除を始めました。

 

わたしは、バイク用のフルフェイスのヘルメットと上下も気重ねし、長靴を履き、弟は水中眼鏡と防空頭巾という出で立ち。わたしの手には、バイク用の防寒手袋と細めのしなる竹を持ち、梯子から、出入口らしいところから竹を差し込み、当てずっぽうに盛んに突きます。

 

すぐさま、怒り狂ったスズメバチが次々と現れ出でて、身の周りを飛び回る。汗だくのわたしは、目に汗が入りよく見えません。めまいすら感じて、続行不能に至りました。降りる途中の梯子から後ろ向きに転落してしまいました。

 

弟はと言うと、すでに遠くに避難し、

『おーい。大丈夫かあ』

というだけで、闇夜に紛れて姿が見えません。

 

結局駆除は叶わず、事態は悪化する結果となりました。出入りは裏口からとなり、夏中に不便でしたが、秋に入るとハチ達の姿は見えなくなり、冬場に出入り口を、土壁材料で塞いで完了となりました。

 

最近のネット動画で見る最近のスズメバチより、余程狂暴ではなかったのだろうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

最近の小学生 2

 

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岐阜県の関市に行きました。ついこの間のことです。

関市は、刃物の生産で有名で、刀剣の生産地でもありました。その技術を生かし、髭剃りの一大ブームを起こした会社があります。

 

 

■ フェザーミュージアム

訪れたのは、フェザー(フェザー安全剃刀株式会社)で現在は大阪市に本社を構えています。しかし、出身は岐阜県の関市。わたしたち家族が行ったのは、関市にある「フェザーミュージアム」という同社の社歴を記念した会館でした。

 

ミュージアム前の広い敷地には、既に大型の観光バスが二台のほか、乗用車も数台が止まっていました。混雑を予想しましたが、来館は小学生の一団で有ることが知れ、新感染症の恐れは少なかろうと思われたので、入館しました。

 

館に入ると、黄色い帽子の小学生が、見学通路を開けて、体育館座りで案内の準備を待つところでした。

 

 

■ 小学生3年生

彼らが小学三年生であることは、胸につけたネームプレートで知れました。わたしたちは、晴れがましい気持ちで通路を進む。すると、まるでファッションショーで見るような好気の視線を感じます。それは、座っている小学生の視線で、入館から展示物に至る間にへばり付くようでありました。

 

まるで、珍しい生き物が通るのを見る目つきでもありました。

そして、そこは最近の小学生らしい、よく教育されたと実感するところです。

『こんにちは』

『こんにちはー』

『こんいちは~』

とあちこちから挨拶してくれるのです。しかし、物珍しい視線が変わることはありません。

 

わたしたちも、会釈をしたり

『あ、コンニチ わ~』

を返します。

展示が始まるところで、館の女性が、にこやかに迎えてくれてなんだかほっとしました。

 

 

■ 最近の小学生 2

管内を一巡して、最後にまた小学生が少し離れて見える位置まで戻って来たときでした。ようやく小学生らが見学を始めるところとです。

案内に慣れた館の若い女性が

 

『皆さんは、フェザーという会社のことを知っていますか?ー』

と、声をあげました

すると、館の女性の近くにいた男子が、

『全く、心当たりがありません!』

と、きっぱり。

 

 

『あはは、全く心当たりがないって。あはは』とわたし。

これには、娘が

『学校で見学先を予習している筈なのになあ』

『先生に恥をかかすなよ』

と怒ります。もっともですね。

 

 

しかし、わたしが、笑いながら尚も見ていますと、

今度は、彼女が

『では、お父さんはひげを何でそっていますか?ー 電気ひげそり、それとも』

と、続けようとした時

『わたしの家は母子家庭です』

と誰かが答えて、彼女は絶句してしまいました。

 

『あちゃー、そんな返しってあるのか』

 

最近の小学生がしっかりしているのは確かですが、何か子供らしさを感じさせず、しっくりしない気がしきりにしていました。

 

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画像出典:行楽ガイド

館を出ようとすると、案内の別の若い綺麗な女性が、

『見学していただきありがとうございました。どちらからおいでになったでしょうか?』

など少し話もして気遣ってくれ、わたしはデレデレ。袖を引かれて出たけれど、とても気持ちよかった。

半開きのドア

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イメージです

 

トイレの戸を半開きで用を足す。

そういう人は少ないでしょうかね。しかし、わたしは一人暮らしが長かったので、トイレに入っても戸を閉める理由が見当たらず、開けっ放しでした。

 

また、いつ何時に地震が起きることも有り得ることでしたから、戸を閉めて用を足している途中で、閉じ込められてしまうのも怖い。そんなところで、餓死するのも厭だ、ということで敢えてとを閉めなかったとも言えます。

 

 

■ 結婚後

結婚してからは、そういう不安は解消されてはいます。が、その習慣から完全には抜け切れずにいます。もちろん、全開というのではありません。ほんの少しだけ開けているのです。トイレの電灯の光が、一条の筋のように廊下に差すといった程度でしょうか。

 

 

■ 妻子も

それを、何故か妻も子も同様で、したがって我が家は全員が、トイレの戸を完全に閉めません。それは用が足し終わった後の戸でもそうです。完全に「カッチ」というところまでは戸が納まりません。無論来客のある時は別ですが。

 

彼女たちは、どうしてそのようにしているのかは聞いたことがないのですが、聞いたところでと思うので聞かないままです。反論や反問されても面倒だから。

 

 

■ 外出より帰宅

長い時間をトイレ休憩もせずに車を走らせる。街中で何時でもどこかにかけこむことも出来るという安心感から、妻や子がどうなのかは斟酌(しんしゃく)しないでいることがあります。

 

そして、家に帰りつくと、玄関の扉を開けるのももどかしく、バタバタと彼女たちがトイレに駆け込むということも、多くはないもののかなりあります。

 

 

■ 数週間前

外出先からようやく帰りついた時のことでした。帰り道は距離はそれほどでもない出先ではありましたが、道は渋滞して思いの外に帰宅が遅れてしまいました。そして這う這うの体(ほうほうのてい)で帰宅。

 

妻が、玄関の戸を急いで開けトイレに駆け込みます。

すると、トイレの中から大きな「ブッ~」と音がして

『あ、』

と娘がわたしの顔見る

『あ、』

とわたし、

『あ、屁こきよった』

と娘。

『あは、長く生きると、男も女もないさ。皆あんな風になる』

とわたし。そこまで大変なら、言ってくれればどこかにトイレ休憩をしたであろうに、と思ったことでした。

 

豆食えば、、、

 

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画像出典:Goo


兄が中学生、わたしが小学六年生、弟が三年生のことでした。

 

わたしたちは、蒸かしあがったばかりのサツマイモを縁側に行儀よく並んで食べていました。午後三時ころであったでしょう。目の前には、中秋の色づいた木々が、陽光に映えて、一年で最も華やかな山でありました。

 

暫くわたしたちは、蒸かしあがったサツマイモを頬張って、目の前の景色に見入っていましたが、

 

わたしは、正岡子規

「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺

を学校で習ったと言いました。正岡子規が重病を押して奈良を訪れた際に休憩の茶屋で柿を食べていた時、法隆寺の鐘が鳴ったのを詠んだものだそうです。

 

その句を聞いた兄が、

『それなら、こんなのはどうだ』

とニヤリとして

『イモ食えば パンツ破れる への馬力(ばりき)』

『いひひひ』

『えへへ』

 

本人も含めてみんなで、芋を見ながらへらへらと長く笑っているのに気を良くしたのか、兄はさらに

 

『豆食えば パンツ汚れる 腹通し(はらとおし)』

と。

 

この句?でさらに三人の少年たちは、身をよじらせて笑ったものです。腹通しとは下痢のことです。豆を食べすぎると、誰にでも起こる症状のようです。

 

『それ汚いなあ』

とわたしが言って、また更に笑った、、、

 

**********

 

あれから何十年、かつて兄との会話の中で一番楽しく、記憶に今なお鮮明です。

 

 

 

 

インフル注射

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画像出典:医療プレミアム

 

注射は人でも動物でも嫌なものであることに変わりはありません。ネット動画を見ていても、幼児はこれから痛い思いをしなければならないという不幸を先取りして、泣き出すし、犬は身の上の不吉さを察知して病院に入りたがらない。

 

わたしは、注射など以前はどうということも、なかったように記憶しています。痛いのは嫌だけれど、一瞬のこと。それなのに、それが最近は、めっぽう怖くなってしまったのは、何が原因であるのか全く心当たりがないのです。

 

従って、健康診断で採血の時も、看護師さんから

『あのね、腕を引かないでください』

と怖い顔でたしなめられる。

『すんまへん』

と謝るしかない。

 

「いい年をして、注射が怖いのかい」

と思われている感じはするけれども、怖いものは怖いに違いないので、どうしても腕を自分の方へ引こうと自然になってしまう。わたしの意思ではなく、肉体的反射ですからと言い訳が無論、通用するはずもないですしね。

 

採血の日取りが決まると、その日が来るのは、何かの場でスピーチをしなければならない刻一刻と迫って来るのと同じくらいに気になり、心が晴れません。これは、きっと若い時に二年も入院していて、毎日太い注射をされたことが、急に蘇って来たのかも知れないとは思う。

 

 

■ 前回

前回の場合は、注射針が刺さる時も、インフルエンザワクチンの注入の時も痛かった。もちろん、少しだけ。(でもわたしは結構痛いと思った)

そして、家に帰ってから、腕は重りが入っているのかと思えるほど重いし、だるくもある。なおかつ、針の後もすこし痛む他に、少し赤く腫れて座を持っている。

 

その腕の重さやだるさは数日は続いて、そののち嘘のように消失して、今度はむず痒くなるのは、家族は誰でも同じプロセスらしい。

 

 

■ 今回

 今回は、注射もそれほど痛くなかったし、前回あった重さやだるさ、腫れも注射跡も痛くはなかったのはどうして?いや、文句はないのだが。

 

 

■ 素人考えでは

そこで思うのは、接種時の針の刺さる位置によって、前回と今回の差があったのかなと思うのです。前回は、筋肉を動かす「筋(すじ)に、今回は「筋肉そのもの」であったのではなかろうかと。(良くは分からないけれども)

 

 筋肉ではなく、筋に打ったのではないかという疑いに対して

『それは、断然間違っている、注射は筋肉に打つべきものである』

とか、

『もっと、鋭角に打つべきである』

などと、わたしが断言をしてはいけない。なぜなら、医師以外が診断を下すことは、医師法の違反らしいので。