『何かおいしものが食べたいね』
とポロリとひとり言をお茶の時間に言いますと、耳ざとい妻の耳に入って、
『はあ、何が食いたいねん?』
と、食ってかかる感じの反応に
『いや、別にあらへん』
と慌てて否定する。別に取り立てて、日ごろの想いをぶちゃけたというのでないのだから。
では、何がそんなにおいしいと思えるのかは、食べてみないと分からない程度の、何だか雲を掴むような話であるのです。しかし、こう喉越しが爽やかでかつおいしいものという、ボケかけた人のような漠然とした感じはあるのです。
■ あるにはある
それをよく考えてみれば、食べたいものがあるに決まっている。けれどもそれは、わたしの稼ぎではちょっと高額なので、
『実は、これが食いたい』
ということは出来ないのです。家族で高級でなくても回転しない寿司店に行けば、わたしのひと月の小遣いはおろか、我が家の生活費まで浸食して、お金が入る日まで、梅干を見ながらひたすら白米という事にもなりかねません。
■ おいしいもの
美味しいものは、結局のところ、生涯に於いて一度あるかなしかの高級料亭やレストランのようなところで、おいしいであろう高級料理を堪能出来て、かつ懐具合を心配せずに食べることかも知れないと、思うところです。
そして、とても綺麗なスラっとした若い女将が和服姿で挨拶に来て
『本日は、○〇様、ようこそおいでくださいました。女将でございます。私共の腕によりをかけて、料理を御用意いたしました。ご堪能ください』
などという光景を、窓の外の晴れた空を見ながら、でれっと夢想をする。
しかし、そこが粗食に慣れ親しんできたわたしにとって、本当においしいと思えるかどうかは分からない。妻に、唸るような札束を見せて、
『好きなもン注文してもいい。酔ってもいい。帰りはタクシーだ』
などと言ってみたい気がする。それがおいしいものとも思えるのです。今のわたしにとっては。現実には「あはは」か「とほほ」であります。