聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

何か美味しいものを食べたい

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本文と直接関係はありません

画像出典:ノート

 

『何かおいしものが食べたいね』

とポロリとひとり言をお茶の時間に言いますと、耳ざとい妻の耳に入って、

 

『はあ、何が食いたいねん?』

と、食ってかかる感じの反応に

『いや、別にあらへん』

と慌てて否定する。別に取り立てて、日ごろの想いをぶちゃけたというのでないのだから。

 

では、何がそんなにおいしいと思えるのかは、食べてみないと分からない程度の、何だか雲を掴むような話であるのです。しかし、こう喉越しが爽やかでかつおいしいものという、ボケかけた人のような漠然とした感じはあるのです。

 

■ あるにはある

 それをよく考えてみれば、食べたいものがあるに決まっている。けれどもそれは、わたしの稼ぎではちょっと高額なので、

『実は、これが食いたい』

ということは出来ないのです。家族で高級でなくても回転しない寿司店に行けば、わたしのひと月の小遣いはおろか、我が家の生活費まで浸食して、お金が入る日まで、梅干を見ながらひたすら白米という事にもなりかねません。

 

■ おいしいもの

美味しいものは、結局のところ、生涯に於いて一度あるかなしかの高級料亭やレストランのようなところで、おいしいであろう高級料理を堪能出来て、かつ懐具合を心配せずに食べることかも知れないと、思うところです。

 

そして、とても綺麗なスラっとした若い女将が和服姿で挨拶に来て

『本日は、○〇様、ようこそおいでくださいました。女将でございます。私共の腕によりをかけて、料理を御用意いたしました。ご堪能ください』

などという光景を、窓の外の晴れた空を見ながら、でれっと夢想をする。

 

しかし、そこが粗食に慣れ親しんできたわたしにとって、本当においしいと思えるかどうかは分からない。妻に、唸るような札束を見せて、

 

『好きなもン注文してもいい。酔ってもいい。帰りはタクシーだ』

などと言ってみたい気がする。それがおいしいものとも思えるのです。今のわたしにとっては。現実には「あはは」か「とほほ」であります。

妻の姻戚関係

 

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画像は、ブログ内容とはあまり関係はありません

画像出典:オフィース56

 


昨日の続きのような、関係ないような内容です。

昨日は、滅多に覚えて置かねばならない人の名というようなものは、仕事の世界でしか殆どわたしの場合はないと書きました。

 

しかし、仕事の関係では実際に何度か会って話せば、思うほど覚え難いという訳ではありません。そもそも、利害のある関係は、忘れる筈もないのです。

 

あるとすれば、妻の姻戚(いんせき)関係のことでしょうか。それに、近所の親しい人の子供がどこの高校や大学に行っているかとかどこに務め始めたのかといったことでしょうか。

 

■ 覚える気がない

妻の親戚はわたしのそれと比較すると多い。

それで、ことがあるたびに、例えば、人が死んだとか生まれたとかのことで、どこかで何年振りかに顔を合わせる程度で、見知ってはいるけれど、名前までは思い出せない。というか、覚える気がないので思い出せるはずもない。

ましてやその親戚の姻戚関係など頭がこんがらがってしまう。

 

妻は、

『誰それさんは、わたしの父の兄妹の娘の子供』

などと熱心に説明してくれたりしますが、まず妻の父は彼女の高校時代に他界しており、見覚えがない。

 

その姉妹は生きてはいるけれども、結婚式かその後の何かの拍子にあったかも知れないという程度で、その人たちの顔もまるで浮かびません。

 

ましてや、その人たちの娘の子供となると、何か非常な遠さを感じてしまう。おそらく赤の他人と変わらない位に。もし、娘が目も覚めるような綺麗な人だったら、きっと覚えていると思うけれども。

 

従って、妻が熱心に説明し出した途端に、理解するのを断念し、拒否し、諦めるので、

 

『ふーん。そうなんか』

とはいうものの、何も理解できていない。

 

■ 事あるごとに

しかし、その場はそう取り繕っても、また姻戚(いんせき)関係を確かめる時は来る。それで、

 

『だれだれさんは、お母さんから言ってどういう関係のひとだったけ?』

と聞くことになる。妻は、面倒くさそうに、

『前にも言ったように、、、』と始まりその関係の話が長々と続く。しかし、前と同じようにまるで頭に入らない。

 

『そうか、分かった』

といってみるが、覚える気はやっぱりないのです。この繰り返し。思い出せないのではなく、覚えて置く気がなくて覚えていないのだから、話にならない。この先もずーと同じでありましょう。

 

近所の人の話もまたかくの如し、であります。

人の名前が思い出せない

 

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画像出典:supabo


人の名を新たに覚えて置く必要があるなどと言うのは、まあ仕事以外には殆どありません。しかし、食事の時にテレビを見ていて、昔覚えた女優を幾か月なり半年ぶりに再び見る時、

『えーと、この人の名何だったかな』

と思うことがあります。

 

若い頃には、直ぐに思い出せたのですが、今は0.1倍速くらいの記憶の巻き戻しスピードなので、その場で思い出せることは多くはありません。家族に聞けばそれはその場で解決する訳ですが、何だか癪なので黙っています。しかし、失顔症なる病気ではありません。

 

■ 気になる

その人の名前を思い出せたところで、良いことがある訳でも悪いことが起こる訳でもありません。従ってどうしても思い出す必要はないのです。が、思い出さないことによって、思い出せない自身への言い訳がしたくないという気持ちが残ります。

 

つまり、ボケの初歩に来ていると、思いたくない訳ですね。

 

それで、ネットで調べるとか子供の記憶を頼るとかもしたくはありません。何が何でもというほどではないものの、自力で思い出せたらと思う訳です。しかし、既にボケの初歩には来ていることは確実な情勢で、どうしても思い出せない。

 

■ 思い出せる時

食後の時間も、歯を磨きながらも、寝ようと着替えつつであってもやはり気になる。しかし、思い出せない。布団の中に入っても、なお思い出せない。ブツブツ言いながらいつの間にか眠りに落ちていく。

 

それが、あくる日の昼頃にフッと水の底から泡が一つ浮き上がってくるような塩梅で思い出せることがあります。

 

『あ、そうだ。あの女優さんは○〇さんだ』

てな具合です。それを、家族に誇らしげに告げると、

『今頃思い出したんかいな?』

と、冷え切ったお茶のように、とても冷たい。

 

 

閉店時に蛍の光が流れる理由

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映画:別れのワルツのパンフ

画像出典:YouTube

 

パチンコ店以外に、一日の営業終了で閉店までいたことがないのでわからない。例えば百貨店とか大手のスーパーなどは一日の営業終了し閉店時にはどのような音楽が流れるのでしょうか。流れないのでしょうか?

 

わたしは、これまで3度パチンコ店の営業終了、閉店まで店にいたことがあります。

 

■ 流れる音楽

パチンコ店で閉店時に流れる音楽は

蛍の光

です。

 

まあ、パチンコ好きの人は誰でも知っていることでしょう。

 

■ 蛍の光が流れる理由

これは、外国の映画にも閉店時に蛍の光のメロディーは流れるようです。わたしが見たのは古い映画ですので、現在でもそうなのかは確認しておりません。

 

古い映画とは、「別れのワルツ」(ロバートテイラーとビリリアンリー)の映画の一場面で、営業終了の合図に「閉店メロディー」として蛍の光が流れます。そうすると、居合わせた人たちが、蛍の光に合わせて手に手をとって、軽い踊りをして別れを惜しむというものです。

 

■ 蛍の光のメロディーは閉店の合図

つまり、蛍の光が店に流れると閉店のお知らせなのです。パチンコ屋の閉店時にもこのメロディーが流れるのは、この映画の影響でしょうか。

 

蛍の光のメロディーが、終わりますと遊技台の電源が落ちます』

との警告がなされます。それでもパチンコ玉を追加購入する人がいたりします。わたしもそうでしたが。

田舎で取った自動車免許

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画像出典:tabi-magu


 

わたしは京都の田舎町で自動車運転免許を取得しました。

家に車があった訳でも、買う予定でもありませんでしたが、就職して営業職に就いたら是非とも必要となるだろうと思い取得したものでした。

 

従って、自動車学校以外で運転したこともないまま、案の定、大阪市内という都会で営業職に就くこととなりました。車も2年目からは専用を与えられましたが、古い車ながらわたしが使用することで、あちこちに当ててボコボコになってしまいました。

 

当然、当てた相手があることで、営業職がお金を出し合って積み立てていた、修理費をわたしが一人で一年分使い切る年もありました。始末書は何枚書いたか知れません。

 

■ 大阪市内の会社

一番怖かったのは、8車線くらいある御堂筋(みどうすじ)という大阪で一番広い一方通行の道路でした。会社はこれに直行する形である細い道の一つで、300m程入ったところにありました。

 

この道路は、営業から会社に戻るには何かと、交通の流れが良く時間もかからないことから、社員の多くが利用しておりました。わたしも大阪市は不案内な土地でしたので、ルート営業に出ても、帰りは教えて貰った道筋しか通ることもありませんでした。

 

■ 会社に戻れない

ところが、どうしても左端のレーンを通ると交通の渋滞が起きやすく、道路の真ん中あたりを走ることが多かった。会社に近づくに連れて、車を左折すべく左の端のレーンに寄らねばなりませんが、これが出来ないのです。

 

田舎での道路教習は片側一本のずつの交互通行でしか行っておらず、二台が並んだ状態で走ったことがありません。それで、怖くて左端のレーンに寄れないのです。会社の前の道に通ずる左折するはずの交叉点をやり過ごすしかないことが、よくありました。

 

■ 会社では

会社では、わたしが戻らないとよく心配されました。現在の様に携帯電話がある訳でもなく、わたしの事情を説明もどこかに留めて公衆電話から報告しなければならないため、車を左のレーンに寄せて停まる必要もありますが、それが簡単には行きません。簡単に出来る位なら、会社に帰着しているでしょうから。

 

■ 約三年

それでも慣れとは恐ろしいもので、三年程経つ頃には無難に会社を行き来ができるようになりました。そこまでには、大きな事故は起こしませんでしたが、当て逃げしたり、建物や道路の工作物を壊したり、擦ったりは良くしたものです。

 

当て逃げには、向こうから会社に怒鳴り込まれたりしたものです。若い時のわたしは本当にどうにもならない人間でした。今から思うと顔から火が出る思い出です。

ネットでの誹謗中傷におもう

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画像出典:マネーポスト

 

ネットでの書き込みには、わたしは殆どの場合に於いて、個人や公人、会社名、話題の人物であっても余程のことがなければ実名を書きません。わたしの持つ情報など、殆ど信ぴょう性や根拠があるとは思えないからです。そのような情報の程度で、名指しはとても危険ですから。

 

それが、たとえ良い評価をする場合でも同じです。

 

名を出さずとも、ブログなどの筋が成立しないというようなことは殆どありませんし、困ることも殆どありません。

 

一度書きこんだことは、誰かが覚えていれば一人歩きして、それに尾ひれがつくこともあります。文章は極力わかりやすく、傷つけないようなえん曲的な表現も心がけています。それはわたしが、してほしくないことをしないだけですが。

 

それでも、わたしの文章に書き方や言葉遣いに誤りを発見して、ヒヤッとすることがあります。その時には出来る限りその時に訂正するようにしています。わたしのブログは、アクセス者が超の付く低調を極めていますが、それでも気になります。

 

 

■ 本人を前にして言えるか

ネットで、誹謗中傷をしている人は、本人の前や多くの人の前でも同じように言えるでしょうか。言えないでしょう。真実とは、どんな人の前であっても通じるものであるはずです。

 

怒りに任せたり、憶測で言ったりすると即座に反発を受け、謝罪に追い込まれることでしょう。真実であれば、誰の前であっても、相手が居ようが居まいが、同じことを堂々と主張でき、受け入れられる筈です。

 

勿論、わたしは誹謗中傷はしようとは思いませんし、受けたくもありません。そのような自体に発展する書き込みも行いません。顔が見えないからと言って、何を言ってもいいという訳ではなく、そこにはおのずと節度が無ければなりません。

 

個人的にでも、家族で有っても言ってはいけないこともあるはずです。

 

自ら体験してこそ、納得できる

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画像出典:キャリアピックス

 

誰でも、先導者や先輩が居て口やかましく叱られたりアドバイスされたりすることには、相当な抵抗があります。しかし、それもそれを言われている内が花というものです。

 

『叱られなくなったら、お仕舞。叱られている内に成長しなければそれすらもなくなる』

とよく言われたものです。これは正しいでしょう、たぶん。

 

確かに30歳を過ぎても叱られているのは、単に成長せよという暗示ではありません。今の職には向いては居ないぞ、転職したら?辞めてくれないかな、ということかをにおわせているのかも知れません。

 

そうなると、もっと若い内、せいぜい30歳未満で叱られているのは花でしょうが、叱られている歳にははそれ程の年月の幅はありませんね。

 

『アイツには何を言ってもアカン』

と言われるようになると、注意もされなくなります。これは、それまで口やかましく言われて来た身には、瘧(おこり)が落ちたようで、何か開放された感があります。しかし、その時になって、叱ってくれたり、アドバイスしてくれた人のありがたみが解り始める時でもあります。

 

■ 自らが痛い目に

誰からも叱られたり注意されなくなる時、その人の本当の試練が始まる時であります。あの時に人がわたしを叱ってくれたことは、正しかった。その言葉を受け止めて、従って置けば、このような苦境に立たされることもなかった、、、

 

『だから言わんこっちゃない』

と、陰で言われることとなるでしょう。わたしがそうでした。

 

しかし、人のアドバイスを聴かず自らが招き、自らが陥った苦境には後悔もないわけではありませんが、納得は出来ます。自らが正しいと思う道を、歩んで行って間違っていたとしても、わたしはわたしの歩んできた道を、また歩んでいく道を変えることは、わたしが得心してからでないと出来ないのです。

 

人から諭された道を歩んでも、最後まで導いてくれる訳もなし、自分の思う道を歩んでいくのが結局、いいのではないでしょうか。

 

 

ゴールデンウイークを過ごし方

 

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画像出典:とわとわネット


ゴールデンウイークが近づいてきましたが、どのような予定をお持ちでしょうか。

 

飛び石を有給で埋めると、9連休とかになる人もいるかと思いますが、娘の会社ではこのように飛び石部分を埋める人が、今年は殆どないとのことです。確かに休みを取っても、行先もなくくすぶっていては詰まらないからでしょうか。

 

以下の色付き文とグラフは、マイナビからの引用になります。

 

■■

ぐるなび」では4月13日、「ゴールデンウィークの過ごし方」に関する調査結果を発表した。調査は4月2日〜4日、20代〜60代のぐるなび会員1,000名を対象にWEBアンケート方式にて行われた・

 

■ 休みの期間

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画像出典:マイナビ

「今年のゴールデンウィークは、最長で何連休になりそうですか?」と質問したところ、カレンダー通りの「5連休」(31.2%)が最も多く、次いで「わからない・未定」(18.2%)、「4連休以下」(14.9%)、「7連休」(11.8%)と続いた。

■ 休みの過ごし方

我が家は暦通りなのですが、どのように過ごすかは思案中です。京都から他府県に行っても、こちらが新コロナウィスルが怖くもあり、怖がられる可能性もあり、トラブルにならないとも限りません。

 

かといって、近場は以前より虱潰(しらみつぶ)しに、出かけており、今更そこへは行きたくもありません。子供の頃に過ごした田舎へ墓掃除がメインになりそうです。ここならトラブルにはなりませんが、そこへは一日で事足りますので、人気のないところをドライブくらいでしょうか。

 

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画像出典:マイナビ

ゴールデンウィーク時期の新型コロナウイルスの感染状況の見通しについて聞いたところ、現状と「変わらない」が30.0%、「悪くなっている」が40.1%、「かなり悪くなっている」が19.6%という結果に。

ゴールデンウィークにしたいことを聞くと、「自宅で過ごす」(43.0%)が4割を超え、次いで「外食」(29.0%)、「近場の日帰り旅行」(20.8%)、「ショッピング」(18.8%)、「離れた家族、知人に会う」(16.5%)と続いた。

最後に、ゴールデンウィーク中の一番高い外食の1食1人当たりの予算を教えてもらったところ、平均金額は4,894円、最高金額は1万8,700円となった。

 

 

人気のないところを選んで出れば安心ですが、それもチョット寂しい。

交通取り締まり

 

 

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転校生の彼女の小さい時のイメージはこんな風だった気がします


高校生時代に、弟のクラスに女子転校生が入ることがありました。父親は交番勤めの警察官で、どこからか我が町に転勤で来たようでした。彼女は少し色黒ではありましたが、笑うと目が垂れて男性なら誰が見ても可愛いと思うような女性徒でした。用もないのに彼女を見たさに弟の元に行ったりもしました。

 

この、女生徒を転校した初めの頃に、わたしは弟の

『可愛い』

のことあるごとの発言で初めてその存在を知り、遠目に見ただけで、話したことはついにありませんでした。そして、彼女は卒業までは居ず、また転勤の父と共に去って行きました。

 

今では、彼女の名前が何といったかも覚えてはおりませんが。

 

■ 検挙

わたしの家から高校まで凡そ15-6キロ。バスは一日に3回しか通らず、乗り遅れると途中から4キロは歩かねば帰り付かない。そこで、学校もバイク通学を許可してくれるようになり、わたしも原付バイクで通うようになりました。

 

ところが、この女性徒の父が、下校の時間を見計らって交通検問を行い、主に通学のわたし達を目の敵のように検挙するのです。わたしも2回以上それに及びました。娘は同級生の中でもひと際に可愛いが父は厭な奴でしかありませんでした。それゆえに彼女の中にも、そのことに対する心苦しさはあったでありましょう。

 

■ 転勤

しかし、彼女がさっとまたしても転校して去り、クラスの中にポツンと席が空いていて、クラスが何かの話題で盛り上がるっているのを見ますと、言いようのない寂しさを感じたのを懐かしく思い出します。

突然に彼女は去り、わたしのなかに芽生えつつあった淡い恋心を綺麗さっぱり摘まれた。

 

その後、新しく着任した人、つまり警察官は交通取り締まりは滅多にせず、大いにわたし達を喜ばしたものです。

 

■ 彼女のこと

彼女のことは、わたしがその国道筋の交番を差し掛かることがあるたびに思い出します。そして、あの厭な奴が立っていないかつい見てしまうと同時に、可愛い同級生の顔もまた浮かびあがる。

 

 

バイク好き

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最近のバイクの一例

 

わたしは16歳の時から35-6歳までバイクに乗っておりました。その間バイクを10台くらい乗り継いだと思います。バイクが大好き人間でしたし、今もそれは少しも変わりません。しかし、今は乗っておりません。

 

雨風がつらくなったのと、暑さ寒さも体に応(こた)えるようになり、移動はもっぱら車に移りました。家族共々出かける時には、やはり車でなければなりませんしね。

 

■ 排気量

最初の頃は50㏄の原付でしたが次第に排気量が上がり、最後には250㏄まで上がりましたが、それ以上は車検があるので諦めました。面倒ですし、お金も必要です。小柄なわたしなら250㏄は十分でしたから。

 

■ 音

現在、わたしの家の向かい側に400㏄のバイクを持つ息子が居ます。他にも125㏄にも乗ったりしていますが、400㏄だとエンジン音が違います。

 

居間にいる時に、そこの息子400㏄バイクに乗って出かけるのを見かけます。

ブイブイうるさいなあ。はよ出てけばよいのに』

と妻はぼやきます。同意しますが、あの腹の底を揺がす


ようなエンジン音がわたしは好きなので、何も言いません。

 

そして、ついつい

ブイブイブイ、ブーインブーイン、ブイブイブアーン』

などをまねをしますと、家族はあきれ顔です。わたしは、どうしても彼を非難する前にバイクの音に魅せられてしまう。