聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

戸建て住宅にも「長期修繕計画」が必要

 

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画像出典:NPO集住センター

 

分譲マンションを買って住んでいますと、月々の支払いの中に「長期修繕計画積立金」と言う名目の項目があります。名目は多少違いますが同じ意味あいの積立金です。支払い方法は銀行口座引き落としが一般的です。月々でない場合もあります。例えば、2か月、あるいは半年に一度という風に。ただ、その場合でも、月々支払いを基本にしています。

 

■ 「長期修繕計画」とは

長期修繕計画とは、早くいえば買って住んでいるマンションの価値の維持費です。建物は、完成してから即座に老朽化が進んでいきます。何もしないで置くと、下水管や給水塔、廊下、屋上防水など主要な部分が次第に痛んだり汚れたり錆が出てきたりします。

放っておけば、マンションの価値は下がり続けていきますし、いずれは修繕しなくては住めなくなってしまいます。

 

そこで、長期に渡ってマンション住人が一定額を毎月積み立て、計画的に主要な部分を修繕(修理や更新)をして行こうとするものです。毎月積み立て額はなかなかの金額ですが、実際に修繕を行う時は殆どの場合でその費用はトントンか不足気味となります。

 

そこで、積立金額が少ないと、それに見合うような見積もりを取って、修繕するしかありません。本来なら、この程度の修理としたいと思っても、今一つ下の安価な方法を選ぶしかない訳です。

 

■ 長期修繕計画積立金

このお金は、買って今住んでいるのを売り払ってどこかに引っ越ししていく時にも、返ってきません。それは買う時から決められた規約なので仕方ありません。月々の支払いも先に書いた通り、決して安くはありませんが。

 

■ 戸建て住宅にも必要な積立金

戸建ての住宅を買って住んでいる人は、分譲マンションのように長期州修繕計画による積み立てを行う事がありません。それを計画的に積み立てるか否かは、その家の持ち主の考え次第ですので。

 

しかし、だからといって戸建て住宅がマンションのように修繕しなければならないようにならないことはありません。

 

マンションと同様にやはり20年を過ぎるとあちこちに傷みが出てきて、その時に至ってもギリギリの生活で、貯金もないというようなことになると、雨漏りがしたり、台風で屋根が捲れ飛んだりするほか、外壁の目地が割れて水がしみ込むなどと言うことが、起きたとしてもどうにもならなくなってしまします。ある程度は火災保険があれば賄えますが。

 

その上、わたし宅のように新築購入時の家電製品の劣化による買い替えや修理が殆ど立て続けに起きてしまうことも考えれれます。これは保険ではどうにもなりません。

 

■ 木造戸建てにも「長期修繕計画」を想定

そこで、木造の分譲住宅に現在住んでいる人、住み始めた人には毎月少しづつでもいざという時の修繕や修理のための積み立てをされることをお勧めします。

 

わたしもその意識は新築戸建てを買った当初は持っておりましたが、特別に不都合が出ない年月があり、すっかり忘れていました。その結果、近年は思わぬ出費に苦しんでいます。

 

 

 

 

評論家より政治家の方がまし

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画像出典:Wikipedia

 

色んな人が時事問題や社会問題にそれぞれに自分の意見を言えるのは、民主主義の良いところです。しかし、言った言葉にはそれなりの責任が本来は伴う。前言は放言で済まして、外れたらまた違うことを言い出す。個人間同士であればそれも許されることです。

 

しかし、世に知れている評論家とかユーチューバー、弁護士、芸能人などは、テレビやYouTubeという多くの国民が見ているかも知れない公での発言となると、事情は違う筈です。それは、彼らの発言が多くの人に少なからぬ影響を与えるからです。

 

■ それも職業

しかし、公の場で公言したことがたとえ大きく外れても、彼らは殆どの場合、何ら謝罪もしなければ、訂正や弁明もしません。ましてや責任を取って職を辞するということもありません。そういう考えは元より微塵もありません。

 

『あ、わたしの言ったことがまた、外れちゃった』

とか

『間違った発言だった』

ということがあっても、彼らは殆どの場合で何もしません。ただ、「カエルの面に小便」で済ますのです。勿論、公共の場で彼らが言った言葉をどれだけの人が賛同したかは不明ですが。

 

それはまた、

「いちいち責任を取っていたら、仕事にならない」からであります。それが、例えば、明日の株式市場がどうなるかの予想を言うのであれば、外れたとしても仕方がないかも知れない。単なる予想だし、その予想を信じる信じないは本人が決めることが出来る。

 

■ しかし、

しかし、時事問題や社会問題となれば、同じではありません。例えば、

『政府のコロナ対策は、ここが間違っている。東京の1日の感染者が900人を超えた時点で、緊急事態宣言を出すべきだった。それを今頃になって検討し始めても遅い』

てな具合です。

 

確かに、その指摘は10日程前であったら正鵠を得ていたかも知れない。評論家は、断固としていう言葉は大抵が

『あの時、あれをしておくべきだったのに、しなかった』

です。それなら、その「東京の感染者が900人を超えた時点」でなぜ大々的に抗議行動を起こさなかったのか?要望行動を起こさなかったのか?

 

要するに、彼らの批判は、誰かの失敗が確定した時に批判するのですから、いわば後出しで勝を得る、じゃんけんのようなものです。そして、自らが予想や対策を発表したものが、外れたり重大な間違いがあっても、そのままです。

 

■ 政治家の方がまし

政治家もいい加減なことを言う人も居ますが、それらは結局自分の責任問題や進退問題にいずれは発展します。抵抗むなしく地位を辞任したり、謝罪に追い込まれます。

それは、彼らが巷の評論家より優れている訳ではないけれども、責任を取る分については、政治家の方がはるかにましです。

 

■ 誰も

誰も、これから来る目の前から先の未来のことは分からないのです。こうしておけばよかったは、こうしなければよかったのかも知れないのです。

分譲マンションと分譲戸建

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画像出典:オウチーノニュース

 

現在の住まいは20年前に購入した戸建て住宅で、購入時は新築でした。ガレージがついていて、どこかにガレージを借る必要がなかったことと、近くに新駅が出来る予定があるというのも購入する理由の一つでした。

 

■ 中古マンション

その前は分譲中古のマンションで、既に13年がたっていました。私鉄の駅に7分程度で着けることや近くに大手スーパーもあり購入。周りには、同時期に立てられた、分譲マンションが数棟あり、程度はそれらの中では中くらいであったかと思います。

 

マンションを購入してから10年ほどして結婚をしたのですが、車を買うとガレージ代が2.5万円もし、しかも青空でした。それまでは、車を持ったことが無く、専らバイクでした。洗車は洗車場へ行ってしなければならず、その出費と手間もかかります。出費は、わたしの小遣いで賄うとしても、マンションでの一番の面倒なことは、何事をするにも地上階まで降りなければならず、それにはエレベーターを使わねばならない事でした。

 

買った階は9階で、降りる時は階段でもそう苦にはなりませんが、1階から9階に登る時には、やっぱりエレベーターとなります。エレベーターは2台並んでありましたが、出勤時は利用者が多く、来た時に乗り込めないこともありました。

 

■ 買い物

買い物の時ほど、マンションが嫌だと思ったことはありません。買い物をしてマンションの前に車を停めて、買い物したものを下ろしてそれをまた、エレベーターで9階まで持って上がるとういう動きも、実に面倒なものでした。この面倒さは、今のたとえ億ションでも変わらないと思います。

 

■ 近所づきあい

マンションの場合、近所づきあいは知人がいない限り殆どありません。管理組合の役員をした時には、1年程折に付けて顔を合わせますが、それも終わったりすると、少なくとも10年くらいまるで顔を合わせません。

生活スタイルが違うのか、普段は滅多に顔を合わせないのです。

 

■ 諸費用

それと、管理費とか共益、積み立て修繕費なども必要になってきます。積み立て修繕費は、将来に渡って建物の価値を失わないために、計画的に修繕をするもので、賃貸以外は必要になってきますし、マンションを売り払って出て行くときも戻ってきません。

 

■ 管理人の不足

現在マンションの数は増加する一方ですが、管理人してくれるおじさんや夫婦などの人が、少なくなって来ています。管理人がいない分譲マンションは今後ますます増えるでしょうね。

 

勿論、管理会社はちゃんと管理しますが、やはり管理人がいるようなきめ細やかさはありません。いざという時にも、役に立ちません。

 

■ 総合的に考えると

分譲マンションと分譲戸建てだと、前者は一般的に言って交通や買い物に利便性が高いのが良さです。人生の殆どを会社勤務で送るのですから、利便性は重要です。

分譲戸建てはどうしても、それらの利便性は犠牲になる傾向があります。それでついつい木造3階建でもとなるのですが、3階建もなかなか歳を取ると使いづらい。

 

分譲マンションは持ち分の土地だけを処分できませんし、土地があっても建物が老朽化すると値段が下がります。

 

戸建てなら、買値の半分以上が土地の値段ですので、建物値打ちが落ちても土地の値段分は残ります。

 

マンションは、従って出来れば将来は戸建てに住み替える積もりで購入した方が良いのではないかとわたしは思っています。また、その間は賃貸の戸建てやマンションでも良いでしょう。

マンションを最初にかうなら、中古のマンションで良いのではないかと思います。

 

 

「去る者は日々に疎し」

 

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画像出典:Yahoo!


人は誰でも、身近に居る人間を愛する傾向があります、男性であっても女性であっても。

 

無論、手の届かないアイドルや有名スポーツ選手などを愛するということもありますが、それは決して手の届かないと割り切った上でのことか、上手くやればもしかすると手が届くかも知れないという気持ちを持っているかのいずれかであろうかと思います。

 

■ 若い頃には

若い頃にはこのように手に届かないアイドルを愛するのとはまた別に、実生活では自分の身の周りにいる人間もまた愛するものです。しかしいくら好きであっても、遠く離れていくとどうしてもその愛の感覚が希薄になるのは否めません。

 

それゆえ、

「去る者は日々に疎し」

と言います。よく、昔の日本映画などでのシーンでは、東京と言う遠い都市に一旗揚げようとして、出て行く青年がいます。こういうケースでは、出て行くのは男性と決まっています。

 

『きっと迎えに来るから、待っててくれ』

と、恋人を残して出て行くというシーンですね。しかし、青年は思うに任せず芽が出ないで、日々格闘しているうちに、故郷の彼女は別の男性と結婚してしまう。

 

■ 映画「ひまわり」

この男性の場合でも例えば映画「ひまわり」などもありますね。

 

恋人と別れて他国の戦争の前線に出て行った男性が、その国の女性と結婚もし、子供もいる。そこへ、恋人が男性を探しに来て、男性の暮らし振りをつぶさに見て、衝撃を受けて立ち去ろうとします。男性は恋人に気が付き追いすがる。しかし、恋人は動き出した列車に飛び乗り去って行く。列車の中で号泣する恋人。

 

映画「ひまわり」のストリーはおそらく戦争前線に出て行った男性は、きっと恋人はわたしのことを待つことは出来いで誰かと結婚したに違いないと思ったのかも知れません。戦争のさなかに、互いにその生死を知る由もありませんから。

 

しかし、

 

こうした、話は映画だけの事ではないし、昔の話だから今には無いという事でもありません。そもそも昔と言ってもたかが知れてる遠くない昔で事です。その僅かな間に人間が本質的に変わってしまうものでもありません。

 

従って今でも、同じであると思います。

 

■ ネットが充実している

昔とは大きく違うのは、今はネットというものが充実しており、顔でも生活の様子でもリアルタイムである程度は互いを知ることは可能です。しかし会って顔を合わせて話すという事は出来ません。幾らネットでつながっていても、恋人としてのある基準を超えると、諦めに変わるのかも知れませんね。

 

やっぱり身近な存在の異性ということになります。女性は、男性に比べれば、「何より今」を大事にします。過去がどのようであれ、今が充実しているのなら、それを大切して暮らそうとします。

 

未来のことも、勿論女性は慮らない訳ではありませんが、一番大切なものは「今」であります。その考え方は、男性には理解できなくはありませんが、同じには成れません。それゆえ、すれ違いは起きる。

 

■ 鬼平犯科帳

池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」の中で、

昔、親友と練習に通った剣道の道場の一人娘が、その後の人生が有為変転して、今は奉行所の白洲に座っている。鬼平の顔を見て初めて見るような目つきに、一人娘に焦がれていた鬼平の親友は、その変わりように衝撃を受ける。裁きの後、鬼平が親友に言う、

「「女という生きものには、過去もなく、さらに将来もなく、ただ一つ、現在のわが身あるのみ……ということを、おれたちは忘れていたようだな」
(第1巻『本所桜屋敷』)

 

 まあ、女性からは反論はあろうかと思いますが、大筋で認めない訳には行きません。妻を見ておれば尚のこと。

功名心があっても良いことをすることは良いこと

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画像出典:katariba

アメリカの有名が大金持ちが貧困社会に寄付をする、有名スポーツ選手が恵まれない子供たちのための基金に資金集め無償でをするというような記事を、少なくとも一度は見かけます。

 

日本に於いても、そういう人は実業者や芸能の高額所得者もいます。また、大企業などでも知名度向上のために寄付をすることもあります。

 

■ 売名行為か

アメリカでも日本でも、あるいはその他のすべての国においても、そのような行為は良いことであります。

 

そういう時、

『それは売名行為だ』

とか

『功名心からやっていることだ』

などの批判をする人がいます。確かに、それらの人に全く功名心がないとは思えません。売名の行為が全くないとはとても考えられません。それが全くない人であれば、今のそのような地位もあり得なかったであろうからです。

 

■ しかし、

しかし、本人の気持ちがどうであろうと、

「社会に良いことをする」事はよいことです。それで、苦しんでいる人、虐げられている子どもが少しでもすくわれるなら、良いことをしたのです。

 

それを、かくの如く批判をして、自らは何もしない人よりずっとましです。寄付や寄付金集めのために、自らが動くという行為はたとえ功名心があるとしても、それはそれで評価されるべきことです。

 

つまり、われわれは

『あの人は金持ちだから出来るだけだ』『有名だからやれることだ』と言ってしまえばそれで身も蓋もないのです。

わたし達は、わたし達が出来る範囲でささやかながら、多少の売名行為や功名心をもっていようと、良いことが出来るなら、やろうとするならそれはそれで良いことであり、立派でありましょう。

子供の心遣い

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画像出典:グルメノート

 

家族で大きなスーパーに買い物に出た時の事でした。当時娘は小学生高学年に達したばかり。女の児の好きな、お菓子売り場を何を置いても最初に見て回るのは、子供の定番コースであります。

 

その例に漏れることなく娘も、込み合っていたそこの売り場が、ようやく空いたのを確認して入りました。子供たちが、煩く声を張り上げるのを嫌い、空くのを待っていたのでした。

 

■ 棚から商品

通路に入ると、先ほどの子供たちが落としたであろうと思われる商品が棚から崩れ落ちて、あるものは通路の中ほどにまで及んでいたりしました。そこを、そのあと幾人かの大人も通りすがりましたが、誰もそれを跨いで通るだけです。

 

娘は、駆け寄って落ちている商品を取り上げ、棚を確認しながら元に戻します。

『えーと、これは、ここ』

と言う風に、声を上げながらそこに落ちていた2-3品を棚に戻してから振り返えり、わたしを見てにっこりと笑いました。教えた訳でも、指示した訳でもありませんでしたので、少し意外でしたが、頷いて娘の行為に賛同を示しました。

 

■ すると

すると、通路の向こう側から、中年の女性店員が娘に近づいて来て、しゃがみこんで頭に手を置いて、

『ありがとう』

とにっこり笑みました。

『うん』

娘は、自分が行った事に褒められるとは思いがけず、戸惑いもあったのでしょう、言葉になりません。

 

そして、女性店員はわたしにも同じように挨拶をして、通り過ぎて行きました。女性店員は、きっと通路の向こう側の何処から見ていたのでしょう。まったく気が付きませんでしたが。

 

■ あるべきものはあるべきところに

娘は、通路に落ちているお菓子の商品が、単にそこにある事はあり得ない、あるべきところはそこではない、と感じて棚に戻しただけであったと思います。それは、例えば、家の中にゴミが落ちていたら拾って捨てる、と言うことと同じでありましょう。

 

あるべきところにあり、無ければならないところにあるということに気が付き処置をする。これが、心遣いというものであろうと思ういます。

 

物が通路に落ちていても、それを跨いで通る。それは、わたしの仕事ではないし、わたしの物でもないから。

しかし、やっぱりこの人たちでも、ここにあってはならないものだとは認識してるのだと思います。それを、行為につなげるかどうかです。

 

爾来、わたしは娘に教えられたこのことを、わたし自身も行うようにし、他の違うケースにあっても適用するようにしております。娘も働き始めて4年目、あの頃の気が利く女性になってくれると嬉しいな。

 

 

自然災害 裏山

 

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画像出典:ロイター


 

熱海の豪雨災害のような雨による災害は、日本だけでは無いようですね。

となりの国である韓国や中国でも大きな被害が出ていますし、ドイツ周辺国でも大きな洪水被害が出ています。

 

欧州は、土地がなだらかな国が多いので、一旦洪水になると水がなかなか引かないという、日本とはちょっと違った被害も加わるようです。

 

■ わが故郷の住まい

わたしは、高校まで田舎暮らしだったのですが、住んでいた家は背後に村一番の山が控えており、その裾野の一部を削り取って出来た宅地が我家の敷地でした。建っている家の背後に切り取られた山肌が所々に見えて、時々小さな崩落も何度かありました。

 

家と背後の崖の間は2mもなく、その崩落にわたしは震える程怖かった。しかし、わたし以外の5人の家族は、歯牙にもかけないという風で、肝っ玉が据わっているのか鈍感なだけなのか分からないけれども、少しも驚くこともなかった。

 

崖は家の高さの倍はあって崖の上には、山の勾配のままに耕されたわずかな畑などもありました。

 

■ 陽当たり

陽当たりの良い土地とするためには、どうしても東西に延びる谷の北側に住居を構えます。それは日本では、南向きが最良の土地だからです。

 

それに従って、わたし達の谷のすべての家が、わたしの家の並びにありました。夏は日が差さず冬はよく陽が入る、これが日本でのいい土地の典型なのです。

 

ですから、どの家もわたしの家程ではないものの、家の背後には段々の田が有ったり、畑が有ったりして、その崩落や土石流の危険は常ありました。

 

■ 台風や大雨

台風や大雨の日は、わたしは布団に潜り込んでやり過ごしたものです。

それで、何とかなると当時は思っておりました。

幸いにも、わたしが成長して土地を離れ年をそこそこにとって、後ろの山肌が崩れることはついにありませんでした。

その土地に残ってその後も暮らした両親はその災害の憂き目にも合わず、過ごせたのは本当は単に運が良かっただけなのかも知れません。しかし、仮にどんな危険があるとしても、両親はこの土地を捨てることは無かった、あるいは出来なかったであろうとおもう。

 

時々帰る我が家の廃墟に立つと、当時の恐怖がまざまざと蘇る。

 

 

サラリーマンは体が資本

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画像出典:もうダメだ.com



株式会社は株主からの資本で会社が成り立っております。大小の差こそあれ、どんな資本であっても、資本で会社は成り立ちその資本を元手に事業が継続的に行われています。

 

一方、サラリーマンや個人事業主の資本は何でしょうか?それは体であります。体を会社という営利企業に代価として提供しているのです。従って、体はサラリーマン個々にとってお金を稼ぐ資本と言えます。

 

■ 体が資本

「体が資本だから」

と働き始めた二十代の頃には母が言っておりました。母が、資本の意味を理解していたとは思えませんが、確かにその指摘は当たっていました。

 

体以外に資本を持たないサラリーマンや個人事業主は、自らの体を日々健康を心掛け、体に必要な食品を摂ると同時に、精神面もケアして資本としての自らの価値を落とさないようにしなければなりません。

 

何せ、40年もの長期に渡り、労働をしてサラリーや個人事業主として対価を得続けなければならないのであります。わたしも思えば、ここまで歩んで来た今、よくも生きながらえることができたなあと感じるところです。

 

ロクな摂生もせず、職を転々として安い賃金のまま人生の後半に入り、建築自営業と言う職業で大手建設会社にわたしが、わたしを派遣することで収入を増やすことが出来ました。設計の仕事でしたが、現場に出てする設計の仕事で、なり手が少なかったため単価が高かったからです。

 

サラリーマンは、会社に体を預けるようなものですから、個人事業主よりは気楽であろうかと思います。仕事の量や健康管理、福利厚生も会社がやってくれて、個人事業主よりはその点で恵まれています。しかし、それも最終的にはサラリーマン本人の体の管理に掛かっています。要するに体が資本です。

 

個人事業主は、税制上サラリーマンより優遇されています。収めた税金のほぼ全額を経費と言う名目を利用すれば回収可能だからです。例えば年間150万円の所得税があっても、青色申告の経費を使えば基礎控除と共に全額回収も可能です。

 

その金額は大きいです。

 

まあ、サラリーマンのように体の管理は無く、無理をしがちで人生後半のどこかでリタイヤやむなしとなることも少なくありません。だからといって、手を抜くと仕事が回って来なくなり、常に発注してくれる会社の人間関係には気を遣わねばなりません。ここは人間嫌いなわたしには辛かったですね。

 

サラリーマンでも個人事業主でも、早いうちにリタイヤが出来るように、あらゆる手段を合法的に使って蓄財し投資をしていくべきだろうと思います。単に長く働くだけでは、老後はかなりつらくなりますので。

 

え、どんなことで儲けよというのかって。

そりゃ、いろんなことです。これまでから色々その方法は書いてきたのでここでは省略します。でも、その手段として、家族を含めて人をだましたり、傷つけたりすることは断じてなりません。

 

 

田舎の暮らし

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画像出典:ミンカラ

 

田舎出身のわたしは、田舎暮らしの良さも知っていますが、田舎特有の我慢出来ないことがある事も知っています。田舎は、街中に比べればそれほどの密集した住まいがある訳ではないし、軒を競い甍を争うような風にも見えず、遠目に見るとどこか懐かしさのある田園風景であるかも知れません。

 

そう思えるのは、田舎へのビジター(一時的な外来者)であるか、田舎暮らしが何世代にも渡るような長期にその土地の生まれも育ちも垢が染みついた暮らしの人ではないからであろうと思います。

 

そういう人には好奇心をもって田舎の人間も当たり障りのない、一見穏やかで親切そうに思える対応をするものです。いわば、

 

『あの人たちは、所詮よそから来た人』

であり、

『いつかまた、尻尾を巻いて出て行くに決まっている』

と踏んでいるからです。

 

■ 田舎の暮らし

田舎暮らしは、村人が思うレベルにある時には非常に快適であろうかと思いますが、長くなるほど陰湿な人間関係の暮らしを感じるようになると思います。

 

田舎に住まうとなると、田舎特有の行事や決め事、拠出金などの付き合いがあります。それを田舎に越してきた人は当初は免れるかも知れませんが、村人として今後も根付いて生きて行くにはそれらを受け入れなくてはなりません。

 

それが免れている間は、村人は新しく来た人を単に一時的な気まぐれで来た人扱いをしていると考えて差し支えありません。冒頭でも書いた通り「ビジター(一時的な外来者)」に過ぎないのです。

 

都会の生活のように、「隣の人は何をする人ぞ」というような、孤独ではあるが、自由気ままな生活は、様々な村の行事の参加で自由になりません。放って置くと次第に居づらくなります。あらぬ噂も起こります。

 

『今度来た人は、道であっても挨拶もしない』

『村の公用を金で済まそうとする』

などという噂が、広がります。村の公用とは、村としての財産山や神社仏閣の保全さ行やお金の拠出です。村道の維持管理、修復。村の役員の持ち回り。また川に覆いかぶさる夏草や木を伐採して水が田に入る間に少しでも陽が差すようんする作業です。それは、わたしの家は、田を持っていないからとは言えない。

その苦情に、さも味方のように相談に乗ってくれた村の人も告げ口をするというようなこともあります。

 

■ 良いこと

田舎に住んで良いことは、田舎に土地を持ち、その土地から収穫して生活費を稼ぎだすのでなければ悪くはないでしょう。例えばリモートでの仕事。

 

さらには澄んだ空気や穏やかな緑の里山、四季が感じられる日々の移り変わり。

 

■ ふるさとの家

わたしの家のように江戸時代初期から、住み着いてきたいわば土着の人間では、同じような歴史のある家々との、栄枯盛衰による精神的なせめぎ合いを繰り広げてきました。わたしの家は、少しずつ没落して来て、父の時代が一番悲惨であったと思います。

 

まあ、今は村そのものが存続の危機にあり、これまで述べてきたような村独特のしきたりや行事が廃れつつあります。

 

■ 田舎に暮らす理由

若い人が田舎に来て、自然の中でのびのびと子育てをしたい。そのつもりで暮らすなら、やはり、せめて高校が存在する街でなければ、子の教育のために係る労力と費用は街中よりかかると思います。まして、大学進学となれば、狙う大学がランク上位なら、塾にも通う必要もあります。

 

結局、田舎に越して生活するのも村人が思うような「ビジター」で終わる可能性は非常にたかいということになるでしょう。

 

 

エアコンを買い替える

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画像出典:Panasonic

昨日も書いた壊れたエアコンは、メーカーのサービスサイトで修理も可能かと思うのですが、兎も角20年もたっているので、今回は室外機の故障の特定位置を直して、稼働するように出来るでしょうが、又、違う部分が期間も置かずにダメになると思われ、結局、買い替えることとしました。

 

何とも痛い出費です。

 

■ 一階のLDK

そのエアコンは一階のLDK(居間)についており、これから梅雨明けも直ぐ来そうですので、とりあえず、現在のエアコンを買った家電量販店に行き、妻と色々物色したのですが、

 

『いいな、これ』

と言えるものは、財布には良くありません。店員に色々説明も聞きましたが、この量販店には、昨年発売の商品は一切なく、2021年の新製品しか在庫はないとのことでした。春頃にあったらしいのですが、既に完売しており、今の時期には無いとのことでしたので、新製品で何とか買えるかも知れないと思われる商品のカタログを貰って、重い足取りで返ってきました。

 

■ 2020年の型落ち商品

そこで、ネットで同じ量販店のページを見ますと、2020年の型落ち商品がありました。商品番号も例えばDEE8は2020年製、DEE9は2021年製と言う風に、同じ商品(厳密には違う)でも値段は2-3万円は型落ちの方がやすくなります。

 

そこで、ネットで2020年製のエアコンを買うこととしました。一年差くらいは、何でもありません。

 

工事は商品の到着と同時に行ってくれます。要するに、工事をする人が持ってくるようです。代金は、税込みで138,000円でした。それには、室外機までの距離が4m以内なら標準工事費として、税込み価格に含まれています。

 

今あるところに取り付けて貰うので、外壁と内壁のクーラー用の穴あけは不要ですが、外部の配管カバーを付けるのであれば、其の分が追加費用になります。

 

また、取り外したエアコンは持ち帰ってもらう必要があり、8,000円程度かかります。

 

■ 結局

総額で14万9000円となりました。それ以外に、取り付け位置をを工事業者が見て、現場で増える工事もありそうですが、まあ、それは知れていると思います。

エアコンの下に窓があり、その部分に木製のカーテンレールがついていますが、吹き出し口が開いても当たらないようでよかった。

 

少しでも安く買いたいのなら、ネットでもよいと思います。量販店に出向いて買っても通販でも特に変わることは無さそうです。

 

今週の金曜日にはつきます。

予想外の出費に、どのように工面したらよいのか悩ましい。