聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

年間購読の雑誌

 

 

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画像出典:エッセ
本文とは関係ありません。ほとんど。


ある金儲けの情報雑誌を年間購読しています。

月刊で毎月に一冊が送られてきます。それらは一読はするが、わたしにとっては有益であると思えるものは、この12冊の内の1冊程度に留まります。しかし、その一冊がわたしに特別に有益に思えるなら、年間購読料の8,000円程度は、高くないと思う。

 

情報とはそういうもので、その情報で自身や家族、身内あるいは他の親しい者が情報によって大きな損失を被ることが避けられたり、利益が得られたならば年間購読料など安いものと言えます。

 

今年も、残すところ僅かになった昨日、購読継続の案内が来ました。

今年は、11月に届いた同誌の内容が今年の中では特に有益だと思えた。従って、それだけで来年もう一年継続してみようかなと考えています。

 

 

■ どんな内容?

どんな内容でそのように思ったのか?とあるいは聞かれるかも知れないが、それはあくまでわたし個人にとっての有益な内容で、人にそれを話しても

『そんなことが有益なの?』

とか

『そんな内容だったら本屋の店頭で立ち読みしてよければ買えばいいじゃあないか』

などと指摘されるかも知れません。

しかし、毎回発売日には店頭に行って、立ち読みも心苦しいし、何より面倒であるので、年間購読を選んだ。まあ、要するに生活やお金に関わる雑誌なのです。

 

それでも、来年一つの有益な記事も無ければ次の年は控えてもいいかなとは考えていますが。年間購読をしようと思う位なので、一年間に一つも有益な記事がないとは考えにくい。従ってまあこの先も続けるでしょう。

買い物待ち難民と飼い犬

 

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画像出典:日立市


妻子の買い物にショッピングモールに出かけることがあります。

わたしはそこへは運転者としての値打ちしかない。そこに行っても、わたしには欲しいものは殆どない。辛うじて見るのは、そこにテナントとして入居している大型の書店や家電量販店、100円ショップなど。ちょいと覗く程度です。そのあとは、車に戻って暇つぶしになる。

 

モールの外に、趣味の釣具の店があったりホームセンター、散歩の出来る遊歩道などがあるなら、天気次第ではあるがそちらで時間を潰してもよいでしょう。けれどショッピングモールも大方の場合、広大な工場跡や再開発地あるいは田園の中に建っていたりするので、思うに任せられない。

 

 

■ 店内を見回せば

店内にも、私と同じような買い物に興味がない男性が、所在無げにかしこに設けられた椅子に座っているのを見かけると、ちょっと仲間意識が湧いてきたりするものです。ある人は、スマホを操る、こちらの人は本を熱心に読む。頭に入っているのかは疑わしくはある。

 

何故と言うに、頻繁に行き交う人にチラチラと視線が移るからです。読書も面白ければ、ぐっと引き込まれるものだがそういう本は滅多にないし、わたしの場合は、一度に数冊を読み始めことが殆どです。そのうちの一冊が気に入って一気に集中してしまうこともよくあることですが、まれです。

この読者も、きっと今の本に飽きているのであろう。

 

また、あちらでは持ち込んで来た新聞を、隅から隅まで目を通して、それが皺くちゃになっていたりする。それも終えてしまうと、腕を組んで寝てしまったりとなる。それは、多分に気の毒でもあり、滑稽でもある。

 

わたしの場合は暇つぶしには、出掛ける時に用意して来た本とか、お絵描き帳を開く。しかし、それは気休めのようなもので、実際にしっかりと本を読むことも、何かの下絵を描き進めるほどでもない。単に、もしかしたら読んだり描いたりするかもしれない程度の気持ちでに持って出るだけの事。

 

わたしが車で待つ間にも、駐車場には出入りがある。その人たちを、特別な意識なしにぼんやりと見ていても、そうつまらなくはない。様々な車と人が現れモールに入っていく、あるいは手提げの袋を抱えて嬉しそうに車に戻って来る。

 

確かにそれを見ているのもそれ程につまらなくはないなと思える。もっと言えば、結構楽しい。色々な表情が伺えるから。

 

 

■ 連れてこられた犬

わたしの前の車路を隔てた向こう側に、一台のミニバン(ワンボックスカー)が入って来て数人が降りた。残されたのは、白い中型犬で、自らも一緒に行けるものと思っているところを、飼い主に制止されたらしい。

 

『おーい。置いておかないでくれよー』

と言った風に、去って行く数人の後ろ姿を落ち着かなげに眼で追う。しかし、吠えたり、辺りを引っ掻いたりはしない。おそらく、今日が初めての事ではないのでしょう。待つしかないのだと悟っている風にも見えます。

 

そして飼い主が見えなくなると、取り残された座席に寝そべったのか姿が見えなくなりました。

 

 

■ 一時間後

凡そ一時間が経過しても、犬を置いて車から離れた数人の誰一人戻っては来ません。その間に、何人かの人が向かいの車の前を行き交います。また、その車と隣の車の間をすり抜けて通る者もいる。

 

その度に、白い中型犬は起き上がり外を伺って失望し、また寝そべる。その姿をわたしは、哀れに思わずにはいられない。主人が早く帰って来ないかと待ち遠しくて仕方がなのであろう、、、

 

犬も一時間千秋の思いで待っていることを忘れないで欲しい。そして、犬は人の慰みものでもありません。共に生きて行くパートナーです。

 

犬は人の4倍もスピードで歳をとると言います。すると、わたしが妻子を待つ3時間程は犬には半日にも及ぶということです。そりゃ待ち遠しいでしょうね。早く、犬のところに帰ってやればいいのにと少し腹を立てたりする。

 

例えば、時々戻ってやったり、交代でいてやったり出来なものなのか、と。

 

 

■ しかし

しかし、妻子の方が犬の飼い主より早く戻って来て私たちはその場を離れました。あの白い犬はそれからどれ程に飼い主を待ったであろうか。

ちょいと気になったが、その場を離れてしまうとあっさりと忘れてしまった。

 

 

足摺岬(あしずりみさき)

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画像出典:出典先を忘却しました



 

四国にはわたしが20歳代半ば頃に、レンタカーで旅をした記憶がある。何故、四国を選んだのか、と問われれば田宮虎彦氏の小説を読んで、尋ねてみたい岬が高知県にあったから。

 

■ その小説の名は

その小説の名は「足摺岬(あしずりみさき)」。自殺を考えて足摺岬まで来た男が、人の人情の暖かさに思い止まる、というものでした。

 

田宮氏のこの作品(この作品以外でも)は、名状し難い「暗さ」がある。その事も同氏の作品が好きな理由です。そんな暗い話はまっぴらごめんだという人もいるでしょうが、わたしは好き。

 

わたしは元来、孤独な性格です。一人でいることに苦痛がなく、また一人が寂しいとはほとんど思いません。永い独身時代の一人暮らしでも、厭だとは少しも思わなかったので結婚も遅かった。同氏の言いようのない寂しい小説の記述はわたしの好みにピッタリだったのです。

 

 

■ 断崖絶壁の岬

四国へは今日のような大橋がかかっていない頃で、フェリーで兵庫県の神戸から渡った。そこから海沿いに時計回りに回った。最初に同じ高知県室戸岬という四国の東の突き出た岬にも立ち寄った。こちらは殆どその頃の記憶がない。単なる通り道であったに過ぎなかったからだろう。

 

人はおかしなもので、突き出た半島をなぜか一周してみたいと思うものですね。わたしの場合でも、四国最南端の足摺岬と同じように、突き出ている室戸岬にも惹かれた。

 

さて、その足で高知市にも入り、さらに足摺岬に辿り着いた。

冒頭の画像のような突き出た岬の断崖絶壁のほん手前に、白い灯台が天に向かって生えたように立っていたなと言うほかは、殆ど記憶がない。しかし、遠くから岬の先端を見れば、崖っぷちに立っていることが確認できた。

 

『あそこから飛び降りたら、間違いなく死ぬやろな』

と感じたことは鮮明に記憶しています。死にたい人は、たとい30㎝の深さの水の中でも死ねると言いますしね。

 

 

■ 灯台付近

足摺岬灯台の付近は、思いのほか来訪者が多く。あちこちで人だかりが出来、歓声が上がるのに少しの感慨も湧かないまま、わたしはその地を離れました。わたしは、何か裏切られたような気がしました。

 

もし、わたしと


わずかな他の来訪者だけであったら、岬の崖から実際に飛び降りて命を絶ったに違いない人への感慨がわいてきたのかも知れない。

 

有名な観光地とはこうしたもので、大抵の場合土産もの探しの方が記憶に残ったりするものです。

 

 

■ その後

わたしの、記憶の中のその後の足取りはまるで記憶から消え失せてしまっています。時々、足摺岬と言う言葉を見たり聞いたりする度に、田宮虎彦氏の同名小説とわたしがそこにはるばると足を運んだという事実だけが、無性に懐かしく思い出される。

 

アクセルとブレーキの踏み間違いに思う

 

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画像出典:クルマのニュース


高齢ドラバーの運転する車が、アクセルとブレーキを踏み間違えたとして、駐車場から店舗に突っ込むという事件は、枚挙に暇がありません。確かに、操作ミスには違いないと思うのですが、わたしはこうした事故には、あまり大きなサイズの車を見かけないことから、車の大きさに一因があるのではと思えるのです。

この思いは、ずっと前からしておりました。

 

 

■ 軽自動車

軽自動車は友人と出かける時に迎えに来てもらった時に載せてもらう以外には、運転はしたことが殆ど無い。しかし、友人の車をわたしが代わって運転することもある。その時には無論運転するが、軽自動車は運転し辛いと感ずる。

 

というのも、軽自動車は横幅が狭い。当然にアクセルとブレーキの間隔がわたしが乗っている普通自動車と比べても相当狭い。それが、普通自動車の運転に慣れたわたしには、「運転しずらい」と感じさせるのです。

 

友人の軽自動車の運転を代わった時には、アクセルとブレーキを踏み間違いそうに何度もなった。慣れてくるとそれは解消されたけれども、咄嗟の時にはブレーキのつもりでアクセルを踏んでしまうかも知れないな、と思いましたね。

 

 

■ ある国産車

ブレーキとアクセルの踏み間違えの多いある国産車のブレーキとアクセルの配置は、下図の通りです。これでも解る通りアクセルの傍にタイヤのケースの出っ張りがあって、排気量の大きな車であっても軽自動車に近いアクセルとブレーキの間隔になっているのではないでしょうか。

 

この車種でのブレーキとアクセルの踏み間違いはおそらく軽自動車並みにその部分が狭いのが原因かも知れないと思うに足りる状況です。

 

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画像出典:サンデーマークのブログ

 

勿論、それは踏み間違えた人に問題があるでしょう。軽自動車にもサイズの制約はあります。ただ、この辺はゆったりとした間隔の取れている車を選べばあるいは、起こさなくても良い事故となる気がします。

 

 

眉毛を染める

 

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画像出典:モノシル

 


いつの頃からか、眉毛に白いものが混じるようになり、次第にその度合いは増してきました。それと同時に、どうしても自身が「年寄臭(くさ)い」と思えて腹立たしくなり対策を熟考して染めることを決意しました。女性は眉を描くということも出来ますが、男性はする人がいない訳ではありませんが、一般人は殆どしないでしょうね。

 

妻や子は、

『別に白い眉でもええのんちゃうかー』

とか

『白眉(はくび)とか言うて、吉相なんやでーー』

 

などと他人事に気にも留めません。そりゃあ、物凄く立派な人格者や地位のある人ならともかくもわたしは、そこら中にいる一介の老人に見られるぼけ老人予備群の一人です。眉が白くても取り得は無く、敬われることもなければ、お金もちでもない訳です。

 

スズキ自動車の先代の社長の様に眉毛がそう白(はく)に仮になっても、良いことは何一つ得なものはないのであります。

 

 

■ 染める

従ってわたしは、染めることと決めました。その決心を妻に告げると、

クレヨンしんちゃんのおじいちゃんみたいに、頭はつるつる(何を失礼な!)なのに、眉毛は真っ黒になるなんて誰が見てもおかしいやろが?』

『誰が見てもおかしいって。ええやん。あかんか?ー』

 

その場はそのままでしたが、スーパーに出かけた折に、毛染めを買いました。眉毛専用のものはありません。勿論、毛髪用です。眉の専用も有ってもいいと思うのですが、無いのは需要が殆どあり得ないからでしょうか。

 

買ったのは、毛染めと言っても毛に深く浸透して中のたんぱく質に結合して黒く染まるという「あれ」ではありません。

 

 

■ 買ったのは

買ったのは、頭髪に白髪が混じっているいわゆる「ロマンスグレー」の人が、白髪を目立たなくするための黒いリンスのような製品です。これは、染めるというより何回か継続して使用する内に白髪に黒い染料がこびり付くというのがふさわしいのでしょう。

 

従って、ごく普通のシャンプーでは、実にあっさり落ちてしまって、元通りの白髪が目立頭となるのです。

 

 

■ 眉に塗る

風呂に入った時に、それを眉に塗布する訳であります。薬指に少量を絞り少し揉みを加えながら全体に満遍なく摺りこみます。両方の眉を塗り終わった時には、まるで野球漫画の主人公のような、想像を絶する「太眉」が仕上がる。

 

『星君!』

『やあ、花形満君か!』

てなことを言いながら我ながら実に滑稽な顔の映る鏡の前で、毎度ながら吹き出しそうになる。この格好で浴槽で倒れて死んだら、一体どのような検分がなされるでありましょうか。

 

『死因は心臓麻痺。しかし、眉がこのように黒塗りにされているのは、謎である』

なんてことになるでしょうか。

 

ああ、やだヤダ。

と思いながら、塗ってから必要最低時間の5分最低待ちギリギリで洗い落とす。

そのあとを見てみると、あんまり変わらないけどなあ。

 

 

 

 

 

我が禿げ頭

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極北のツンドラ地帯
画像出典:4travel.jp

 

わたしの頭は歳にはふさわしくなく?殺風景です。

或いはそれを人は、「ツンドラ頭(あたま)」とか「なかなか禿げている」と呼ぶこともあります。その呼称はわたしにとって多少の抵抗感はあるが、おおむね妥当です。

 

こうなると、モンゴルの広大な高原の様で、どのように工夫をしてもふさふさとは行かない。毛生え薬も効果なし。不毛ではないが手の施し方法が分からない。あるいは、ないのであります。しかしながら、「メンテナンスフリー」であることはとても快適です。

 

 

■ 良いこともある

まあ、見てくれは確かに良くはありません。いかにもそれらしい鬘(かつら)を被ってもいいのですが、そこまでする理由がありません。人の目にはダダ分かりの鬘は、格好の笑いを提供出来るので、社会的には悪くはないでしょう。しかし、それだけで、お金にもならずあほらしいので、被りません。

 

しかし、わたしのような「秋の田の刈穂の」後のような頭は、お金がかかりません。洗顔クリームが頭の頂(いただき)まで及んでも風呂上りに問題が生じる訳もありません。シャンプーなど血豆ほどでたりますし、リンスは言うに及びません。

 

頭を、ドライヤーでガーガーしなくても済みますし、バスタオルも乾いた部分が3割は残ります。整髪料もいらなければ、櫛もいりません。

 

まあ、良いことが多い目ですが、損なことは大きく上振れする歳に見られることでしょうか。まあ、それもいいこともなくはないのですが。

 

 

■ 若い時は沢山生えていた

わたしも若かりし時があり、その時には持てあますほどの毛量がありました。くせ毛でもあって、長く伸びると毛の先っぽ近くからくるりとカールするのです。どんなに押さえつけても、暫くするとクルリ。

 

更には、ペチャっともなる毛で、まるで取って付けた鬘(かつら)のような塩梅になるのも随分閉口しました。水分が含みやすい毛質なのでしょうね。

 

いつの間にか白髪が目立つようになり、同時にそれらの多くが無力にもなって、抜け落ちて薄くなったと思われる。今はもうヘロヘロになった髪が微風で揺らぐ感覚がなかなか楽しい。赤ん坊の秒に細く老人の様に少ない毛ではあるが。

 

 

■ 頭が薄くなると

頭が薄くなると、男は髭を伸ばしたくなる。頭がフサフサであったり、それが成り放題になった人が伸ばす口ひげや顎髭はちょっと見苦しい、とわたしは思う。頭が薄くなった人が口ひげや顎髭を伸ばすのは頭への郷愁があるからで、わたしとて同じだがそれをもって4-5日伸び放題にして、髭を伸ばす様子を見せると家族の非難がかまびすしい。

 

凄くではないが、そこそこにあって居ると思うのですがね。

 

 

 

ポケットティッシュ配布対象外の人

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画像出典:ポケットティシュ工場



貧乏そうなおじさんだとくれないものに、ショッピング街やショッピングモールなどでのチラシやポケットティッシュがあります。長引くデフレに、企業も取りやめるところが相次ぎ、日経新聞の記事では、ポケットティシュはここ2年で半分に消費が減ったという。

 

 

■ 歩いていると

ある日、わたしがショッピング街を歩いていますと、歩く先のずっと先に、若い男女がチラシとティッシュを配布している姿を見えました。何かのキャンペーンなのでしょうか、頻繁に歩く人の前に出ては、何かを言いながらそれを渡そうとしています。

 

渡されそうな人は、いずれも若い人であるか、お金持ちそうな中年らしい歳の頃に見えます。大抵の場合、いきなり前に出てチラシなどを突き出されると、実際に驚いたりあるいは、大仰にいかにもらしく身を引いたりするのが何度も見えます。

 

 

■ わたしが近づくと

歩いているのでわたしは段々と配布している若い人の近くに近づいていきます。

それに気付く若い人。こちらを見ながら、更に近づくとぷいと視線を逸らし、黙る。

わたしに、そのチラシやティッシュを渡したところで何の効果もないだろうという判断が、彼もしくは彼女の頭に瞬時に計算深く働いたのでありましょうか?今までの元気な掛け声は一気に潜まり、手はだらんと下がっています。

 

わたしは、何故かバツ悪い思いでこの男女の前を通りすぎる。実に平穏に。

 

 

■ わたしが通り過ぎると

わたしは、こういうことに慣れています、最近は。そしてわたしが通り過ぎると、何事もなかったような様子で、パンフレットやティッシュの配布の若者は、再び声を上げ、通りすがる若い人たち

『○〇を2割引きセールをやっています。どうですかー』

などの声が頭の後ろから届いてくる。まあ、彼らがわたしを対象外としたのも当然であろう商品ではありました、と書いておきましょう。

 

しかし、もしそれが貰えたら少しは心が動いたかも知れない。ひょっとしたら、その売場に足を運んだのではないかと半ば寂しく、半ば忌々しく思った事でありました。

 

この時どうやら、おめかしをして出かける人の気持ちが少しわかる気がしましたね。

 

 

金、プラチナ、銀を買う

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画像出典:質店 タイキ

 

貴金属と言えば、金、プラチナ、銀を思い浮かべます。金は昨年の夏の1g=7000円台の最高値からいえば、現在(2021/12/02)の1g=6500円台なので、かなり安くなっています。

プラチナは、日本では金を凌ぐ人気があって、プラチナチケットなどと言うと、金よりずっと上のチケットでしたし、クレジットカードでもそうでした。これは勿論、産出量が金に比べればはるかに少ないので、希少価値としては金よりあると言えますので、人気が出てもおかしくはありません。

 

しかし、世界的に見てもプラチナの人気の国は日本が突出しており、他国は金が人気です。

 

 

■ 金

金は「有事の金」と言われる様に、政治経済の混乱の時には俄然人気が高まります。金の値打ちが上がるというより、金はいつも不動の位置にあって、その周囲の環境がそれ以上になることもあれば、それ以下になるということもあっての金価格の変動があると言えます。

 

金は、酸化しませんので腐りません。王水(おうすい)には溶けますが他の物には反応しません。従って古来より不滅の金属として富の象徴でした。金は全世界でこれまで産出された量は、オリンピックプール3.8杯分と言われています。

 

現在は冒頭に書いた通り、昨年の8月の初旬に付けた7000円台という金額が最高値です。現在の新型コロナの新しい変異株に揺れると又、少し上がるかも知れません。

 

■ プラチナ

プラチナは、現在(2021/12/02)現在で1g=3960円台です。プラチナは、これまで全世界で産出された量は、6M四方の立法体程です。金のオリンピックプール3.8杯分に比べてはるかに産出量が少ないので、金に勝る希少価値があります。

 

ただ、これまでのプラチナの歴史では、「有事の金」に対して、「平時のプラチナ」でありました。つまり、世の中が平和になればまた金を凌ぐ勢いが出てくると思われます。

 

■ 銀

銀は、工業用に多用される貴金属ですので、景気が上昇過程に入ると価格が上昇します。今は、新型コロナウィルスによって、世界の経済活動が伸び悩んでいますので、価格は1g=90円前後です。この価格から大きく下がることがありません。経済が活発化すると上値は大きいと思われます。

 

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■ 金を買う

金は、ひところの最高値からいえば安値ではありますが、まあ今後余程の世界経済が危なくなるということがなければ1g=7000円を超えることにはならないでしょう。が、世の中何が起きるか知れません。有事のために、銀行預金をするより金を買っておいた方が良いかも知れません。

 

わたしは、少しずつ現状の価格帯で購入しております。株や仮想通貨だけでは、実態に乏しいので。しかし、高いので買えるのも数十g程度です。

 

■ プラチナを買う

プラチナの価格の上昇は、新コロナウィルスが終息して平時になるのを待つ必要がありますが、今が買い時と思いこれも買っております。金は、付き合い程度の購入ですが、プラチナは上値が高いと見てそこそこ買い続けています。

 

■ 銀を買う

銀は、単価が1g=90円で、少ない金額で多くの量を買えるので一番沢山資金を投入しております。

 

 

これら金、プラチナ、銀は証券会社の別口座から買えるので資金の振り替えやアクセスが簡単です。株の配当金を口座振替して買うことも容易です。振替には手数料も取られることなく、使い勝手がよいのです。無論購入には手数料は必要です。

 

 

銀に関しては、銀製品もリサイクルセンターなどで1g=50円から80円になるようなら、買うこともあります。

 

今まで書いてきた貴金属にも市中で商品として買う時には、合金となっていることが殆どで、その割合によって価格も違います。これについてはまた書きたいと思いますが、

ネットで毎月定額で買う方法が最も簡単で間違いがありません。まあ、何が起きるか知れない世の中なので、全部貯金よりいくらかはこちらに回したらいいのではないかと思います。

 

わたしの場合、お金の総量に変わりはないのですが、一つの物に集中しないように分散したいだけですが。

 

 

ガソリン代は安くなる筈

 

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画像出典:カーミー


ガソリン価格が随分上がりましたね。

原油先物相場は最高値圏の1バレル=84ドルから下落して1バレル=78ドル程度まで下がってきました。またはそこで足踏み状態であります。ひところの84ドルからいえばかなり下がったと言っていいのですが、ドル円相場で日本円はドルに対して115円台半ばまで下落しているせいで、原油が下がっても円が安くなっているので、ガソリン価格が下がりません。

 

(なお、この記事を起こした時点から、南アフリカに悪く変異した新型コロナウィルスが発見されたとの報道があり、原油は急落して日本時間の11月27日(土)の早朝の段階で、1バレル=68ドル台まで急落しています)

 

 

■ 住まい地域のガソリン価格

わたしの住む京都市内では、現在ガソリン価格は各種の割引を適用しない場合、168円/㍑です。これに、プリペイカード割引や割引券などを組み合わせて3円引きとなります。わたしは、車は満タンする派なので、余程の遠出でなければ20日程は持ちます。

値上がりする時は、ネットメールが娘のスマホに来てそれを給油機にかざすと5円引きになったりします。この時には他の割引は通用しませんが、それを利用して満タンを心がけています。

 

満タンにする理由はいくつかあります。それは以前んにブログでも書いたのですが繰り返してみますと

① 割安な過疎リンスタンドまで、かなり遠い。

② 一回の給油が少ないと、何度も入れなければならないので返って手間。

③ 遠出すると、その地でガソリンスタンドの安い処を探すのに余分に走る無駄。

などです。満タンでの燃費の差は1キロと変わらないとのデーターもあるとのことですし、満タンでもこまめに離れたスタンドまで行って入れるのでも差はなさそうです。

 

 

■ 原油先物が高くなる?

日本は新型コロナウィルスが激減しましたが、ヨーロッパではぶり返して経済活動が大幅に制限されるような状態です。英国、フランス、ドイツ、ロシアでもひどいものです。その他のヨーロッパの地域でも大同小異です。

それなのに原油が取り合いになるような事にはなるまいにと素人のわたしは、首を傾げております。

 

まあ、生産者がコロナ感染の影響を受けたり精製会社や給油会社も同様なら或いは、ガソリンはあるが、販売の手立てがうまく行かないだけであって、原油自体はどこかの流通段階で余り気味ではないかと疑ってしまいます。

 

元々、それ程の高騰する理由など本当のところはなかったと言っていいと思います。ただ単に、新型コロナウィルスがワクチン接種で収束して経済活動が、世界中で一斉に始まる、それによって急激に原油の需要が高まり高騰するという図式だけが先行した感が大きい。

 

そのように実際になる前に、コロナウィルスの感染が再び拡大しました。

 

それ程の需要は、この先暫く起こらないでしょう。おそらく、どこかの流通段階で大ききダブつくはずです。それが今は産油国側が強気であるために表面化してはいませんが、恐らく今後は表れてくるでしょう。

 

 

■ 備蓄の放出

原油の備蓄を国際的に強調して放出する。バイデン大統領が世界に呼びかけ日本も呼応する形になりました。ゴールドマンサックスは、殆ど価格押し下げ効果はないとのコメントを出しましたが、わたしはあると思います。少なくとも備蓄の半分程度まで出せば、かなりの原油価格の押し下げ圧力になる筈です。

 

 

 

 

 

世界の新コロナの感染状況(11/26)

 

 

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画像出典:東洋経済オンライン

 


下表は、本日11月26日、午前9時(日本時間)に発表された新コロナウィルスの世界における感染状況です。

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画像出典:worldometer

今回は、感染者数総数のランキングではなく、一日当たりの感染者数のランキングとしました。深刻なのは、アメリカとドイツ、イギリスなどの欧米です。アメリカは、この表では、15,000余りと少なくなっていますが、これは感謝祭の影響で検査数が少なかったのではないかと思われます。前日は10万人を超えていました。

 

■ ドイツ

ドイツは欧州の中では特に日別の感染者数がうなぎ上りで、キリスト教の感謝祭も取りやめになって、国民の落胆は気の毒になるほどです。

元々、日本のメディアはドイツの優秀な防疫体制を絶賛し、引き換えて日本の杜撰さを繰り返して非難してきました。しかし、現在のこのような状況下にあるドイツに対しては、口を噤むというずる賢い対応になっております。

それでも、一日の死者数が300人台であるのを考えると、重篤となる人は少ないのかも知れません。つまり感染者の多くが軽症であるとか。

 

 

■ ロシア

ロシアは、独自開発の「スプトニクV」なる新型コロナワクチンを開発し、国民に勧めていますが接種は低調です。そのワクチンに、国民は懐疑的なのです。ほぼ毎日、1,200台の新規死亡者が発表されており、プーチン大統領の打つ手も総スカの状態で、政権が危ういとも言われますが、形こそ民主国家ですが、ほぼ独裁国家なので現行政治に変化はないでしょう。

 

日本の2万5千人もの新型コロナ感染者を1日で出したのをピーク、極端に減少したのは、外国のみならず日本国民であるわたしとて、不思議でなりませんが、マスクを通して弱いウィルスに感染したけれども、それで抗体が自然と出来たのではとの見解には、同意できます。

 

「山高ければ、谷深し」を地で言ったような具合ですが、喜ばしい限りです。

 

 

■ 韓国

韓国は、今月にウイッズ・コロナという経済再生プログラムに乗っ取り、規制を緩やかにしてから、感染者が急増しました。これは日本の感染者が急減して経済再生に向けた動きに「負けておれん」と対抗心を露わにした結果であろうかと思います。

 

この規制緩和時にも一日の韓国の感染者は1,600人台で、決して少なくなかったのにこのような緩和をして、今はまた規制に入るか否かの決断時期に立たされていますが、文大統領は、渋っております。それが、更に感染拡大に結び付くかも知れません。

 

「よそはよそ、うちはうち」でよいでしょうにね。