ブログの今日のタイトルは下記に引用した記事の一部です。わたしにも娘がいて、わたしたち夫婦が死んでしまったらならどうなるのだろ。結婚し子供もいて平和に暮らしているならいいが、今は独り者。結婚しなければ、
『きっと、独りぼっちになってしまう』
そういう思いが頭をよぎります。そして、何だか切なくなり、尚且つ焦りが出てしまいます。多くの財産を残してやれれば、少しは気も晴れるのですが、そんな簡単な訳もなく、無情に日々が流れて行きます。
子は子、自分の才能で生きていくのが当然ではあります。そのために高学歴も履修しました。
しかし、うまく生きられなかったら、今の世は、実際問題として誰も子を助けてくれるどころの余裕はありません。人に手を差し出せば、自分は転んでしまいます。助けたくとも助けられないそういう世です。
それは、わたしやあなたの親戚も兄弟も姉妹も誰もです。気持ちは互いに同じの筈です。しかし、わが家を守るのが精いっぱいが実情でしょう。誰にも頼ることは出来ません。
孤独のうちに死んでしまった記事の中の30代の女性。
孤独死した30代女性の部屋に見た痛ましい現実
男8割、女2割、現役世代も多い切実な問題だ
わが国では、年間約3万人が孤独死している。そこで浮かび上がるのは、人生でつまずき、崩れ落ちてしまった人々の姿だ。男性に比べて数は少ないが、女性の孤独死はとくに痛ましいケースが多い。
若年層女性の孤独死現場の特徴について、特殊清掃業である武蔵シンクタンクの塩田氏はこう語る。
「孤独死した女性の部屋には、使わないままホコリがかぶっている化粧品があることが多いんです。何らかのつまずきをきっかけに、家に引きこもってしまい、人に会う機会がなくなり、人を家に招き入れないから部屋が汚くなる。ゴミをため込むので、片付ける気力や動機付けが、なくなってしまうんです。それでセルフネグレクトに陥ってしまう」
セルフネグレクトとは、自己放任という意味で、ゴミ屋敷や、医療の拒否、過度な不摂生など、自らを追い込むことから“緩やかな自殺”とも呼ばれている。
年間3万人もの人が孤独死するなんて。きっと、生まれてこの方そんな状況に陥るなどとは、思いもしなかったことでしょう。きっと。
上の記事の女性は結婚し子供もいました。それがアルコール依存症で離婚、子供は相手の男性が引き取ったとのことです。その寂しさから、さらに飲酒の深みに落ちてしまって、大量の吐血の果てに死んでしまったという事です。
記事には、何故彼女がアルコール依存症になったのかは書かれていません。依存症になる前に、夫婦や子供で止めることが出来なかったのでしょうか?
たとえ妻と別れても、子にとってはやっぱり母であることに違いはありません。別れた母に会いたいこともあったでしょう。それを子は、引き取って育ててくれている父に言い出せなかったことでしょう。母を失い残された子も不憫です。
そうい子の想いがあるであろうことを、別れた男性は汲んでやろうとは思わなかったのでしょうか。
誰の身にも起こりうること
誰だって、長い人生を歩んでいく道には、過ちや失敗はあります。それを、自分のせいだと自分を責めないで欲しいと思います。記事にはこんな記述もあります。
『ふとした人生でのつまずきが、一気に本人を孤立へと追い込み、社会から隔絶したまま、孤立、孤独死してしまう。それは、私自身も含めて、誰の身にも起こりうることだ。』
知り合いの女性の言葉
わたしが仕事である事務所に出向していた時の話です。そこに30歳半と推定される派遣社員の女性がいました。何かの拍子に、自身の将来についてポツンとその女性が言った言葉が思い出されます。
『わたしはきっと、誰にも知られずに死んでしまうと思うわ』
唐突な、女性の言葉にその場にいた男性社員は誰も言葉を継ぐことが出来ませんでした。女性は独身で、一人暮らし。容姿も顔つきもごく普通ですが、華やかさはありません。そして、どちらかというと無口で、おとなしい。会社の飲み会などに全く出席しませんでした。考え方や行動に特別に変わったところもないのですが、少し引っ込み思案の性格なのは確かでした。
あれから、10年以上になります。今はどうしているでしょうか。
さて、わたしは、この記事や知り合いの女性について、それ以上のことを知りたいとは思いません。ただ、わたしの子が兄弟もなく、頼れそうな親戚もない。それをこの記事に重ねて悲観的になっているだけのことです。
ただ単に取り越し苦労であったらいい、それだけなのです。わたしの子供も同じような道を歩むとも限りませんから。
と思いながら、堂々巡りの末、また、出発点に戻ってしまいます。