聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

歴史の中「逆境を跳ね返した決断」

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画像出典:カエサル像 ナスジオ

 

ルビコン川を渡る」という表現は、後戻りのきかない道へと歩み出す、その決断を下すことを意味する、の書き出しで始まる記事については、下方に掲載します。

 

カエサルラテン語: Caesar)はその綴りから日本では「シーザー」と呼ばれる方が、一般的ですが、外国ではカエサルの様ですね。

 

冒頭の「ルビコン川を渡る」も確かに有名ではありますが、わたしとしては「賽(さい)は投げられた」の方がピンときます。意味合いは同じです。この記事では、題の書き方が、「禁を犯した」と書いたばかりに、何か決断が悪かったとのか、との印象ですが、実は称えています。

 

ルビコン川を渡る、禁を犯したカエサルの決断

 配信  記事出典 ナスジオ

 

「一線を越える」とか「背水の陣を敷く」などともいう。ルビコン自体は、大した障害ではない。アペニン山脈に水源を発して東に流れ下るイタリアの小さな川で、リミニとチェゼーナの間を通ってアドリア海に注ぐ。渡るのは簡単で、それは紀元前49年1月10日も同じだった。そのとき、ユリウス・カエサルは配下の一個軍団を従えてこの川の北岸に立ち、次の一手を決めあぐねているように見えた。

 

 カエサルが迫られていた決断は、どうやって対岸に渡るかということには関係なかった。すぐそばに橋が架かっていたからだ。彼を立ち止まらせ、思案に暮れさせていたのは、この川が象徴するものだった。ルビコン川は、当時カエサルが統治を任されていたローマの属州ガリア・キサルピナ(アルプスのこちら側のガリアの意)と、ローマおよびその周辺の直轄領から成るイタリア本土とを隔てる境界線だったのである。将軍が軍を率いてイタリア本土に入ることは、ローマの法律で明確に禁じられていた。

 

 その禁を、今まさにカエサルは破ろうとしているのであり、彼自身、それがどういう結果を招くか重々承知していた。ルビコン川を渡ることは、カエサル本人はもちろん、彼につき従う者も死罪に問われることを意味していた。

 

従って、もし軍団を率いて川を渡るならば、かつての盟友で今や不倶戴天(ふぐたいてん)の敵となったポンペイウスが指揮を執る軍勢を打ち破ってローマを掌握するしかなかった。それができなければ、刑死は免れない。自らの決断の重さにしばらく思いを巡らしてから、カエサルルビコン川を渡る。ローマ内戦の火蓋が切って落とされた。

 (中略)

 

カエサルの友人マルクス・ユニウス・ブルートゥスを含む60名の元老院議員から成るグループが、カエサル暗殺の謀議を巡らし始める。運命の3月15日、カエサル元老院で、このはかりごとに加わった大勢の議員たちの手で刺し殺された。下手人のなかには、ブルートゥスの姿もあった。ちなみに、カエサルがいまわの際に何か言い残したとしても、当時の記録には残っていない。「ブルートゥス、お前もか」という有名なセリフは、シェイクスピアによる創作である。

 

(引用はここまで。続きを希望の方は、下記サイトまで)

https://news.yahoo.co.jp/articles/1a52bbb187cb914f4ecc76a18e1323b238f7d912?page=3

 

カエサルのような後世に名を残すような、国を揺るがす英断を下すことは、一般庶民にはまずあり得ませんが、それでも、大なり小なりに、人それぞれに身の丈に合った、決断を下さなければならないことは、日々の生活の中にもあります。

 

事業の開始や廃止、転職や離職、結婚や離婚、マイホームの購入や転売と様々です。それぞれ決断がいることです。他人にとって、『へえ、そうなの』で済む事でも、本人にとっては、命の削る思いであるものです。

 

決断して、良かった場合もその反対である場合でも振り返らず、奢らず腐らず生きていきたいものです。

 

 

わたしの好きな映画に

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画像出典:Amazon

 

『地獄の七人』

 

というのがあります。べトナム戦争終結から10年。かつて陸軍大佐たっだ主人公が、消息を失った息子を探すため、かつての戦友達を集め再びベトナムへと向かう。「ランボー」のテッド・コッチェフ監督が贈る男達の熱い友情を描いた感動の人間ドラマ。出演はジーン・ハックマンほかで、完全な娯楽映画でした。

 

その中で、主人公のジーン・ハックマンが言った言葉がかっこよかった。その言葉は、カエサルの言葉でもありました。

 

人は一日が終わるを知るも、

それが終わらぬうちに

それが終わると決めることなし

再び会えし時は、ほほえみを交わし、

会えぬ時には、今を良き別れとしよう

 

こうして、集まった旧戦友にを前にして主人公が、銃を頭上に掲げ、出陣していくシーンでした(たぶん)。

 

ストーリーは勿論、想定内でしたが、この映画が好きなのはこの時のこの言葉と別れのシーンがあるからでした。この言葉は、それ以来記憶していて、空(そら)で今でも言えます。