聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

感染症の歴史に学ぶ?

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画像出典:ナスジオ

絵画『死の勝利』(ピーテル・ブリューゲル、1562年)には、社会に壊滅的な打撃を与えた疫病と戦争がヨーロッパ人の想像力に残した強烈な印象が描き出されている。(PHOTOGRAPH BY ORONOZ/ALBUM)
 

 

上の絵画は『ペスト(黒死病)』を材題にかかれたものです。

中世のヨーロッパでは、積荷や乗客に紛れて上陸したネズミたちには、病原菌をもつノミが付いていました。そしてそれが人間に感染し、次第に広まって行きました。

 

同じことがヨーロッパ中の港で繰り返された結果、1347年から1351年にかけてヨーロッパを襲った黒死病パンデミック感染症の世界的流行)は史上最悪の規模となり、ヨーロッパの当時のヨーロッパでは人口の1/3が罹患して亡くなったとのことです。

なお、黒死病はペストにかかると、黒い斑点が体中に出ることに由来しているそうです。

 

後に、アジアのペストのパンデミックの地である香港(ホンコン)に乗り込んだ、日本の北里柴三郎氏らの研究によりそれが「ペスト菌」が原因であることが明らかになりました。それにより有効な予防法、消毒法が実施され、治療法の研究も開始することができたのでした。

 

 

 

さて、新コロナウィルスが2020年2月初め頃に日本で大騒ぎになっていた頃、洋の東西では、極東地域で起きた新感染症と殆ど関心を示しませんでした。それどころか、日本がクルーズ船「ダイヤモンドプリンセス号」の対応に腐心しているのを批判さえしていたものです。

 

そして図らずも、ヨーロッパへはイタリアが最初の感染拡大地となりました。

この時に於いても彼らは、もしくは日本の知識人の多くは、

 

『ヨーロッパには「ペスト」で得た知見があり、新コロナウィスルに対する対応の仕方を心得ている』

 

と自信たっぷりに断言したものです。しかし、事実は違っていました。彼らは、何も成す術を持ってはいませんでした。ただ、ペストでの知見があるという、奇妙な自信だけがあったのです。あの頃の、ヨーロッパ人がペストで得た知見を持っていると喧伝(けんでん)した日本の知識人は、今はこのことをどう説明するのでしょうか。

 

結局、ペストと同様に感染爆発はイタリア北部から始まり全ヨーロッパに拡大して行きました。そして、今でも日々感染者は拡大し続けています。現在のヨーロッパでの感染はようやく下火となってきています。初期から比べればですが。

 

しかし、いつまでも都市封鎖をしておくわけにも行かず、見切り発車的に経済活動を再開しています。このまま、経済活動を拡大させながら、新規感染者を減少させて行くことが可能でしょうか。非常に危うい一本の綱の上を歩く曲芸師のように見えます。

 

とはいうものの、人間は忘却の生き物です。あんなに苦しかったり、痛かったり、辛かったりして、

『もう二度とこのようなことを起こさない』

と決心しても、やっぱり同じことを起こしてしまうものです。

 

 

 

中世に猛威振るったペスト  感染症の歴史に学ぶ

配信 配信はYahoo 記事元は時事通信社

「人間の歴史において何回か大きな感染症の流行が起きている。その中でも特に、14世紀のペストは人類を滅亡に近いまでの状況に陥れるほどの被害をもたらした」と浜田教授は話す。

 ◇7000万~8000万人死亡

ペストの大流行では、全世界で7000万~8000万人、欧州で3人に1人が死亡したとされる。1918年のスペイン風邪でも4000万人が死亡したが、この時は浜田教授によれば当時の人口からすると人類を滅亡に追い込むという状況ではなかった。

 

「ウイルスや細菌の感染力が強いと、毒性は強くないとされる。しかし、14世紀のペストは感染力も毒性も強かったとみられる。今回の新型コロナも、ある程度そういう状況がある。新しい病原体は人がどういう反応をするか分からないので暴走してしまうことがある」

 

もともと中央アジアの風土病だったペストは、モンゴル帝国支配下で開けた交通路から欧州に伝わり広がった。当時の「グローバル化」である。新型コロナウイルスが瞬く間に世界中に広がった背景にはやはり、グローバル化がある。「感染症の大流行が起きるのはある程度人の行き来が盛んな時代が多かった。14世紀も当時としてはグローバル化の時代だった」  

 

中世の欧州キリスト教世界は大変不潔だった。中世社会はローマ時代を否定するところから始まっているので、入浴は良くないとされていた。聖職者は風呂に入らないし、着替えもしなかった。

(引用はここまで。続きは下記のサイトへどうぞ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/a3de025c2ccef4dece17ce3cc45193df4cfdd880

 

 

 ここで、この記事を3つにまとめますと

  • 中世のヨーロッパ人の体は不潔だった。
  • 中世がグローバル化された時代だった。
  • 新コロナウィルス症の対応方法はペストの時と同じ

となりそうです。

 

一つ目の

「中世社会はローマ時代を否定するところから始まっているので、入浴は良くないとされていた。聖職者は風呂に入らないし、着替えもしなかった。」は、今のヨーロッパ人でも影響が残されているのかも知れません。

 

二つ目の

「4世紀も当時としてはグローバル化の時代だった」という記述の部分は、現世界にも通じるものがありますね。グローバリズムは結局、それで一儲けしようとした先進国と呼ばれる国々には何一つ良い結果をもたらさなかった、といえそうです。

 

三つ目の

新コロナウィスルの対応の仕方は、ペストの時と同じです。つまり、『隔離・検疫・都市封鎖』ヨーロッパは、この知見があったのに、なぜ早く行わなかったのでしょうね。

 

 

 

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画像出典:時事通信社

この奇妙な仮面は、マスクです。

 

『マスクはとりわけ異様だった。ペスト医師はゴーグルとマスクを着用していた、とド・ロルムは続けている。マスクの鼻は、「長さ15センチのクチバシのような形で、中に香料を入れていた。穴は鼻孔近くの左右に1箇所ずつの2つしかなかったが、呼吸をするのには十分だった。クチバシに仕込んだハーブの香りを、吸い込む空気にまとわせることができた」という。

 ヨーロッパ中のペスト医師が同じ格好をしていたが、この見た目は特にイタリアで象徴的なものとなった。ペスト医師は仮面を使用するイタリアの即興演劇「コメディア・デラルテ」やカーニバルの定番になり、今日でも人気が高い。』記事:ナスジオ

 

イタリアからこのマスクがヨーロッパに広がったようですが、今回のコロナウィルスもヨーロッパではイタリア北部から騒がれ始めたのも、何かの因縁でしょうか。また、どうしてこんな形のマスクでなくても現在我々が付けているマスクを付けようとしなかったのでしょうか?

 

まさに、『天と地の間に新しいことなし(ドイツのことわざ)』ですね。