わたしの妻の姪の子に、今日のテーマである筋ジストロフィーという難病の子がいます。わたしからすれば、又姪(まためい)に当たります。だからといって、知能が遅れはありません。自分の体が思うように行かない苛立ちから癇癪を起すことがよくあります。
筋ジストロフィー(筋ジス)とは、筋肉(骨格筋)の変性や壊死(えし)が起きる遺伝性疾患の総称です。 さまざまな病型(種類)があり、それぞれ違った特徴があります。 筋ジストロフィーに共通するのは、「遺伝子に変異があるために起きる」、「徐々に筋力が低下する」ことです。
その又姪が生まれてどれ程両親も、わたしたちも喜んだことでしょう。
彼女が生まれて、半年ほどしてわたしの家にお披露目に連れて来てくれました。その時、わたしはふと普通の子と何かが違うなと思いました。それは、何かであって唯のわたしの勘に過ぎません。
そのことを、彼らが帰った後に、妻と子に話すと、即座に否定されました。
『何も変わったところはない!普通、普通の子!』
二人の余りに頑強な否定に、わたしの余り当たらない勘のせいだったのかも知れないと思いながらも疑念を残したまま、それ以上の話題にはなりませんでした。
しかし更に数か月後、又姪が不幸にも筋ジストロフィーであることが判明しました。わたしの当たらなくてもいい勘が当たってしまったのです。そのことを知って、わたしたちは愕然として、これからどのように姪に接していけば良いのかとひどく当惑したものでした。親しい付き合いをしていましたから。
恐らく、筋ジストロフィーであることを知った姪たちがどれ程に落胆をし、涙し、苦しみ、子に申し訳なく思ったかは想像に難(かた)くありません。それを思うとどう声を掛けてあげればいいのだろうか、、、
しかし、姪は、人前では愚痴をこぼしたり、悲嘆にくれたり、落胆するような素振りを一切見せません。明るく甲斐甲斐しくこの子を大学病院の専門医にへと通い、自らはパートで働き、夫も家事を手伝います。
それを見ていると、自然と涙が滲んできます。
若い頃に散々放蕩したとか、人を苦しめてきたとかという人たちではありません。つつましくまじめに生きてきた人たちです。
それなのにどうして、よりによって筋ジスの子が生まれるのだろう、、、
そういう問いに答はありません。この子は恐らくそう長くは生きられない。そう知って、生きている間にどんなことでも出来る限りは、この子にしてあげようというのでしょうか。
それは、親が子の不遇の時に見せるほとんど
『献身(けんしん)』
と言っていいと思います。
わたしは、一途(いちず)な産んだ子への姪の想いが、いつか悲しく切れる日が必ず来ると思うと、恐ろしくなります。その時、彼女がどんな風になるのか想像がまるでつかないからです。
もう一人の姉に当たる子がいます。この子も最初は掛かりっきりの母に僻(ひが)んだり、反抗したりしていました。それに対して、ただ申し訳なさそうな顔をしますが、叱ったり怒ったりは一切しません。自分が産んだ子への没頭が、この子も不幸にさせているという思いがあるからでしょうか。
いつしか、小学高学年となりそれもなくなりました。姉にも病気の理解が出来、そしてそこから妹に対する同情が持てるようになったのでしょうね。
さて、下の引用は、京都大学の研究で、IPSを使って筋ジスの治療の可能性が生まれたとの報道です。
こういう報道を見ると、姪が助かる道が開けたと喜ぶ反面、この子がいつその恩恵にあずかることが出来るのだろうか、そして先が長くない子が生きながらえる事が出来ないのだろか?ともどかしくなります。