何年も前、おそらく相当な前に友人と車で三重県の松阪市に入ることがありました。松阪市といえば、松坂牛の名声は全国的にも轟いているところです。とても手の届かない一庶民のわたしたちにも聞こえていましたので、本格的に焼き肉料理を食することが出来なくても、何か定食に松阪牛が数切れついているものにしようという話になったのは、極めて当然でありました。
色々と走りながら、懐(ふところ)に合う店を探しましたが、見つかりませんでした。
失意の裡(うち)に帰りかけていたところ、信号で停まったそのすぐ近くに、見ればなんと「ホルモン」と出ていたのです。しかも、看板の中央の店名の左右に羅列されているどの品も格安です。
わたしたちの喜びようは尋常ではありませんでした。お腹を空かしながら探しあぐねた結果、松坂牛を食べることなく、帰路の就こうとしていたところでしたから。
『折角来たのだから、ホルモンでもいい』と友人。
『いいね』
とわたし。同意しない訳がありません。しかも、店の駐車場はかなり広く、信号待ちの車が動き出せば直ぐにも入れそうです。
■ ホルモン旨し
そして、無論、入りました。相当な混みようでした。外部に換気扇で煙を排出してはいるのでしょうが、それでも室内は靄(もや)っています。もし、ホルモン店でなければ、小火(ぼや)ではあるまいかと疑われる程の煙です。
それも空腹の身には、刺激となり兎も角にも座るや否や数品を注文しました。焼けるのももどかしく、ほおばります。
『それ、食べても大丈夫?』
と疑われる位の焼け具合です。冷たいビールを相手はのみ、わたしはお腹が弱いので、常温のお茶を飲みながら、まるでホルモンに憑(つ)かれたように、次々に平らげていきます。
■ 松阪豚
ようやく腹がいっぱいになりました。この満足感は格別です。
『うーん、さすがに松阪牛は違うな。ホルモンでも、格別においしい』
とわたしが言えば、
『ホンマやなあ』
と友人。
その後の会話は途絶え、しばらく二人は、消し炭のようになっていく、食べ残しのホルモンの変貌する姿を見るともなしに見つめていました。
『ほな、行こか』
という友人の声に我に返り、勘定を済まして外に出ました、外のすがしい空気を吸い上げると、いまさらながらのように満足感が湧いてきました。
そして、車に戻ろうとしてふと店を振り返ると、例の看板が目に入りました。そして、ホルモンと書かれた看板のすぐそばに、小さな字で
「豚」
と書かれているではありませんか。わたしたちは、この文字をどうやら見落としていたらしいのです。
「豚のホルモン」を「松阪牛のホルモン」と間違えていたのに気付いた瞬間でした。
『あれー、豚のホルモンなのかー』
なんというか、この時の気持ちは、絶対に口説き落とせると思っていた、女性に最後には振られてしまう気持ちに似ています。なんという脱力感。優越感、自信、満足感などが、カラガラと音を立てて崩れ落ちる気持ちでした。