わたしが少年の頃、自転車に乗る練習に没頭することがありました。当時のわたしの家には、今でいうママチャリが存在しませんでした。大人の乗る普通の自転車が一台あるきりです。この自転車はごく普通ですから、逆三角形のフレームの両端には、ハンドルとサドルが付いています。
この重要な二点を結ぶ逆三角形の底辺部分の横棒が少年のわたしには、非常に悩ましいものでした。
跨いで、サドルに乗るには背丈もなく、従って乗る練習には到底不可能です。これがもしママチャリなら、サドルに腰を下ろすことが叶わなくとも、自転車のフレームの中心に体を入れることが出来ます。ハンドルもぎこちなくはなるものの、普通に持つことが可能です。
すでに述べたように普通の逆三角形のフレーム自転車では、ハンドルとサドルを繋ぐフレームがあることからそれが出来ません。世の中には、すでにママチャリが普及し始めていましたが、わたしの家は、父以外に乗る者がいなく、それを買う必要が全くありませんでした。
乗る練習には、どうしたものか?
思い悩んでいたところ、私と同じ境遇の同級生がいて教えてくれました。
『三角乗りで練習したら?ボクはそれで乗れるようになった』
というのです。天啓を聞く想いでした。
■ 三角乗り
わたしは、早速練習を始めました。
三角乗りとは、フレームの逆三角形の部分に片足を突っ込み、その足をペダルに乗せます。そして両手はハンドルへ。この姿勢での乗り方です。体の重心は一方にあるため、バランスを取って乗るのが一苦労です。
下の画像は、三角乗りが上達した少年の画像です。すでに、三角乗りの完成の域に達していると思います。なお、蛇足ながら画像は、私のものではありません。
従って、緩やかな勾配のついた道路であれば、最初からペダルでこぐ必要がなく、バランスを取る練習に専念すればよいわけです。自転車を何度も倒し、同時にわたしも倒れて、あちこちに擦り傷が出来き、泣きそうになりながらも繰り返しました。しかし、何度練習してもうまく行きません。
だからといって、父親のアドバイスも手助けもあるわけではありません。むかしは、今ほど子供に関わってくれる親は殆どいませんでしたから。
『もう、いくらやっても駄目だ』
と思い始めた5日目頃に、ふとバランスが取れて5メートルほど進むことが出来ました。それからは、どんどんと距離が伸びまていきました。しかし、まだこの時点でペダルをこぐことが出来ず、それが出来るようになったのは、更に実数で10日程必要でした。
■ 自転車は江戸時代末頃にはあった
ここで、日本の自転車の歴史を見てみますと、日本で自転車を広めたのは、横浜などの外国人居留地に外国人が自国の自転車を持ち込んだのがきっかけとされています。日本で本格普及したのは昭和のことで、それまで羨望の的でした。戦後において自動車がそうであったように。
■ なぜ自転車を「チャリンコ」「チャリ」と呼ぶのか
なぜ自転車を「チャリンコ」とか「チャリ」と呼ぶのかについては、明確な由来はありません。自転車が普及し始めていた頃の、「チャリン、チャリン」となる警告鈴の音から来ていると言う説が有力です。
わたしの子供の頃は、ママチャリは「婦人乗り自転車」と呼んでいました。女性がスカートでサドルにまたいで乗るあるいは降りるのは、見た目にも乗る側からも抵抗があります。ママチャリが、女性の支持を集めたのは、この辺に大きな理由があるのでしょう。
■ ママチャリの定義
「ママチャリ」は「ママ」+「チャリ」の合成語であろうかと思います。これには異論はないと思います。「ママ」は妻でも母でもよく、広義には女性一般でも広く女性を指していると考えて良いでしょう?
女性が乗っても安定走行ができ、かつ主として買い物に利用するための短距離用のダブルループ形やL形・U形の形式の24〜26インチ自転車で、幼児を1人~2人乗せることができる自転車を含む。(色付き文字部分記事出典:トレース)
■ ママチャリは自転車屋さんの苦肉の作品
昭和20年代に台頭し始めた原付バイクに押されて、自転車の需要は細りました。自転車業界では、それまでの重くて武骨な自転車を見直し、若い人で取り回しが簡単で乗り降りのしやすい製品を考え出しました。それが、女性に受けたのでした。
どんな時代にあっても、危機に見舞われた時こそ変革のチャンスなのでしょうか。
今では、若いお母さんが、フレームががっしりとして、タイヤも太く丈夫そうで、なおかつ、電動アシスト付きの自転車で、子供を載せてさっそうと少々の坂道も登っていく姿をみますと、わたしには隔世の感があります。