昼からカラオケ。もっと正確に言えば、「昼間からカラオケ」でしょうか。これをなんでも略すのが好きな日本人の間では、「昼カラ」と用呼ぶようですね。
先々日、所要で出かけた先に車を止めて、歩いていますと、奇妙な声が聞こえて来ました。そこは、大通りから少し入ってすぐの狭い道辺りでした。わたしは、歩きながら、その声の元を探ろうと周囲を見渡したのですが、特定できません。
気になるものの、特段の何かがわたしに不幸をもたらすことでもないことから、ごく普通に歩き続けていました。
■ 昼からカラオケ
歩いて行くうちに、次第にその音は、人の声であり高まって来ました。どうやら、わたしの行く先に音源はありそうです。そして、ついに見つけました。
それは、間口一間半の連棟の木造の中程、手書きの札に
「カラオケ」と出ています。
そして、その中から推定70歳代の女性の声が流れて来ます。わたしはが気になったのは、何の曲を歌っているのかでした。
声はアルコールが相当に入っているようで、本人は上機嫌ですが周囲は聞くに耐えないようなろれつの回らないものでした。スマホを開くふりをして立ち止まり、耳をダンボのようにして見ましたが、まるで理解不能です。
■ 演歌?
歌は演歌のようでもあり、御詠歌(ごえいか)の感じもします。あるいは、うめき声とも取れます。もし、パチパチという複数の人数らしい拍手がなければ、怪しんだかも知れません。
聞く人も、相当酔っ払っているのでしょうか、よく聞いていられるなというような、むしろ同情をして上げてもいい、と思えたものでした。しかし、心配無用、カラオケ店では、人の歌など聞いてはいません。次に自身が何を歌うかで夢中なのです。
■ 高齢者にカラオケ
新コロナウィルスで、老人の行き場がなくなってしまったことで、カラオケは唯一つの息抜きの場になったようです。新コロナウィするの二波が来たとき、北海道の札幌の「昼カラ」店で同好会の高齢者中からクラスターが発生しました。
市は、自粛を求め、店は消毒を行いました。
『わたしたちからカラオケを取りあげないで』
と「悲痛な叫びをあげた」とのネット記事を見ました。しかし、その後は感染者の一人が死亡するに至り、それからはすっかり記事にも載らなくなりましたね。どうなったのでしょうか。
■ しかし昼カラは健在
しかし、そういう話を聞いても、人は「自分たちはそうならない」と思えるような生き物です。従って、何度でも同じようなことは繰り返されるものです。昼カラに限らず。
わたしが、歩いていて耳にしたカラオケ店は繁盛しているのでしょうね。
なぜなら、高齢者が聞きたい、歌いたい歌番組などどのテレビ局でも放送しませんから。今の若い人の歌は、やたら歌詞が長く、それ故に早口に歌わざるを得ず、白面(しらふ)の高齢者でも、異星人が歌っているとしか思えないようなものでしょう。
古き良き昭和は、遥かに遠く、滅びつつあることへの郷愁が、当時の歌のカラオケへが高齢者自ら行くすえを重ねてるとき、魅了してやまないのでしょうね。