15年ほど前、わたしは滅多に乗らない私鉄のバスに乗ることがありました。
大抵は、車での移動ですが、市の繁華街に出ると、駐車代もかかり、そうゆっくりすることもできないと思い、行きは市バス、帰りは私鉄バスに乗ることにしました。
所要を済ませて帰る私鉄のバスに乗っていると、あるバス停で降りるのか降車ボタンを押すの老婆を見るともなしに見ていました。
バスは、停留場に到着し、老婆はたどたどしい足取りで前方に進み、定期券のようなものを見せて降りようとしましたが、運転手はそれを遮(さえぎ)って、
『おばあちゃん。この優待パスは市のもので、このバスは私鉄のバスのだからダメ。おカネを払って!』
と、そっけなくいいました。
老婆は優待パスで降りられるものと思いこんでいたようで、その言葉に気が動転して、ブルブルと震える手で、手提げのカバンを探りますが、思うようになりません。
『無いの?』
運転手は急(せ)かします。交通量の多い国道筋のバスラインですので、ダイヤが遅れることを案じたのでしょう。
しかし、老婆はその言葉にさらに気が動転してしまって、なかなか手提げのカバンを開けることが出来ません。それでも、震える手で、何とか探し当てることが出来ました。そして、運賃を支払い、心もとない足取りで何とか下車までこぎつけました。
■ 運転手の取るべき行動
老婆が市の優待パスを使えないといわれた時の、動転ぶりを見れば、
『おばあちゃん。今度また乗った時に払ってくれたらいいから。今日はいいよ』
といえないものでしょうか。そうすれば、どんなにその場が和み、老婆は救われたことでしょうに。
確かに、その分の運賃は足りなくなり、運転手が自ら補填しなければならなくなるかも知れません。しかし、ちょっとした気遣いで数百円で人も自分も爽やかになれたであろうにと思うのです。
だからといって、運転手が悪いわけでもありません。業務に忠実であっただけですから。
■ わたしの取るべき行動
わたしは、この一連の騒動をただ見ているだけでした。気を利かせて
『おばあちゃん、ぼくが払っておくから』
というべきだったでしょう。そういえなかったのはわたしが小心者だったからです。何かをやるべき時には、たとえ小心者でも敢然(かんぜん)としやらねばならないことがあるというのに。
そのバスに乗っていた、他の客も誰もそんな気の利いたことをしませんでした。あの、バスから降りた老婆の、憔悴して、バスを振り返った時の顔を今でも時々思い出します。
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バス代など、僅かに数百円のものでした。代わりに払ってあげて置けば後生(ごしょう)が良かったのにと、思い出すたびに悔やむことがあります。自分が段々と年老いていくとそうした、ちょっとした気遣いが出来なかったことでも、悔いが残るものです。