似たもの夫婦とは、辞書によれば
「考え方や性格がよく似ている夫婦のこと。あるいは、夫婦は考え方が似るものだ、という意味の言い回し。 」とあります。
半分はその通りだと思います。が、ちょっと違う気もします。
■ 互いに評価出来る、出来ない部分がある
妻は夫の普段の行動や発言を目の当たりにしていて、それをすべて受け入れているわけではありません。
『このおっさん。こんなことにこんな意見なんか。ついて行かれへんわ』
と思うことも多々ある筈ですし、夫の立場であってもそれは、それ程違いません。
だからと言って妻は、しかし夫の考えや行動を全部だめだとも思ってもいません。
『あ、なるほどな』
と思うこともあります。評価できる部分もあるわけです。
『これは、嫁はんの考え方でええか知れん』
などと。
また、相手が頻繁に使う言葉も何時しか、感化されて自身でも使ってしまうこともあります。これは、互いの会話の時には出ませんが、近所や知人程度なら、引用の意識なく使うものです。
その会話の場所にいないところから聞いていますと、
『いつも、オレが言ってることと同じこと言ってるな』
と思うこともあります。
■ 仲の良い夫婦は考え方が相互乗り入れ出来る
まあ、夫婦とは、長く一緒に暮らすとこんな感じでしょうか。考え方に相互乗り入れがない夫婦は仲が悪いとは言えないものの、良くはないとも言えますかね。
■ 生涯好きになれない部分もある
最初は、もしかしたら考え直して行動も変わるかも知れない、と思われることで、そんなに難しいものでもない筈が、どうしても変わらない事も相手にはあります。
『なんぼ言っても変わらんなあ』
というような、身に沁みついている頑固な汚れみたいな面もあります。そのような面は、直した方がきっと本人にとって良いだろうということであれば、サラッと言っておしまいにします。厳しく指摘して直すことが可能なら、とっくに完了している筈だからです。
まあ、定番のボヤキをすることで、終わらせてもよいでしょう。
『成年になったら、なんぼ言ってもかわらん、、、』
■ 夫婦は考えと行動の持ち寄り
夫婦が段々似てくるというのは、相手の考えを取り入れ、自分の考えを相手が受け入れる。相互に、混ざり合っていくことでしょうね。しかし、それらは普段の生活の中の重なることが可能な範囲であって、基本部分は少しも変わらないものです。
それは、子供の頃の育ちの環境や成人になってからの体験や行動で得てきたもので、そう容易(たやす)く相手のそれに染まることはできません。互いに踏み込むことが出来ない領域でもあるのです。仕方がありません。
■ 子はかすがい
全く思いもしていなかった他人が結婚をして、一緒に暮らす。そして何年も。これは殆ど奇跡のようなものです。喧嘩もすれば、頬を寄せ合うほど仲がいいなどのサイクルを繰り返しながら、何とか別れずにやっている。そして歳をとれば、互いに、自分にも相手にもあきらめがつくというものです。
生活のこともありますし、また新しい相手に出会う機会を作るのも面倒です。それに子供がいれば、自分たちの勝手にはできません。子供は親を選べないのですから。
【子は鎹(かすがい)】
「夫婦仲が悪くても、子への愛情のおかげで夫婦の縁を切らずにいれるということ。」
てなことになるのでしょうね?きっと。
鎹(かすがいはこんなものです。
鎹(かすがい)は建築の金物で、木工事の仕口位置の補強材です。あくまで補強材で、仕口位置にはもともとホゾとホゾ穴が刻まれて頑強に組み込まれてはいますが、もしもの時に鎹(かすがい)は繋ぎ止めて置ける。かも知れないものです。