中学生のクラスメートに谷村君はいました。付き合い始めて知ったのですが、彼はわたしの家庭とさほど変わらないくらいに貧乏のようでした。
この中学校は、いくつかの山間(やまあい)地域から集まる扇状地の付け根のような位置にあって、それらの小学校から、集まってきた児童で構成されていました。
■ 本好き
谷村君は、わたしの小学校からは遠く離れた隣の小学校の出で、中学校になって初めて出会うことになったクラスメートでした。
彼が耳が大きくて、冬場にはよく霜焼けを起こしていたのを覚えています。口や目そして鼻の造りが、どれもがっしりとして、メリハリがあり、ちょっと日本人っぽくはありませんでした。
彼が本好きで、わたしの知らないことをよく知っていたことが、彼に惹きつけられた理由です。ほぼ、毎日のように図書室に通い、本を借りていました。今のように、スマホも携帯もなく、テレビも全局は映らないような山間の日々の生活にあっては、本を読むことは大きな娯楽であり、楽しみでもあったのです。
■ これ面白いぞ
朝に教室で顔を合わすと
『これ面白いぞ』
と借りていて、この日に返す筈の本をわたしの机に、投げ捨てるようにして置いて、読むのを勧めてくれたりしました。わたしも本好きではありましたが、彼ほど熱心ではありません。しかし、そうやって勧めてくれる本を、彼から交代して借り、それ程の期待もせずに読むと、これがなかなか面白いのです。
最初のころは、主に椋鳩十(むくはとじゅう)という児童文学者の本が多かったですね。この人の本は、動物とのかかわりあいのある、童話であったり観察記録のようなものが主でしたが、深い愛情ある表現と、解りやすくユーモアにあふれた文章が、挿絵とともに書かれており、ぐいぐいと引き込まれて行きました。
好きな本を読むと、そこには大抵の場合、著者が愛読したり引用するような別の本が紹介されることになります。それを、また読んでみるという形で、読む分野が広がり、新しい作家にも出会えることが可能になります。読書は、有名な作家でなくてもこのような繋がりで読んでいけばいい、のかも知れません。
■ クラス替え
クラス替えが学年が変わる時にあり、彼とは一緒とはなりませんでした。クラス替え当初は、よくわたしのところへ来ましたが、何時しか疎遠となり、そのまま卒業してしまいました。
別に、互いに嫌いになった訳でもありません。ただ、クラスが変わると、そのクラスメートと話すことが自然と多くなるものです。
時々、図書室で会うこともありました。会話が禁止されており、互いに笑みを交わしはしたのですが、そこまででした。
■ 彼の一番の思い出
谷村君、彼の一番の思い出は、こんなことでした。
同じクラスであった時、彼がいつものようにわたしの机にきて、話をして自分の席に戻る時に発見したことでした。
彼のズック靴の上履きがまるでチャップリンの靴のような形に変形していました。それはコッペパンを足にかぶせたようにフワフワとに歩くたびに上に浮き上がるのです。
しかし、そうなるのは右側だけです。
『え、、、』
わたしは、それがどうしてそんな風になるのか合点がいきません。
『おい、谷村!』
と自分の席に戻ろうとする背後から声を掛けると、彼は振り向いて、右足を大きく上げて、その靴の裏を見せました。
なんと、親指あたりに穴の開いた靴下が見えるではありませんか。そうです、彼のズック靴は底が取れてしまっていたのです。咄嗟には声も出ませんでした。
驚くわたしに向かって、彼はお茶目に足を上げたと同時に、小さく舌を出したものです。わたしは、そのしぐさに思わず声を出して笑ったのをはっきりと覚えています。わたしの家も負けずに貧乏でしたので、彼の姿を見て深い同情と共感を覚えずにはいられませんでした。
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彼は、今は、どこで何をしているのでしょうか。あの、漫画の「じゃりン子ちえ」の父、「テツ」みたいな耳が大きくて顔が長めの谷村君を誰か知りませんか?