わたしが少年期を過ごした、山間の寒村には、一時期に幽霊がでるとの噂の立った小高い岩山が、今もあります。そこは村から西隣り町へと通ずる唯一つの道で、中間地点よりはやや隣り町に近くに位置していました。
本来なら岩の尾根が、この小高い岩山にまで続く筈のところを、ほぼ直角に折れる道の角に当たり、尾根の大半が切り取られ、切り通しとなっています。片方は屹立した岩壁、今一方は小高い岩山を残しています。
ここからの話は、わたしが小学生の頃のことであったと記憶しています。
■ 村人の証言
村人の一人が夜に隣町から自転車で帰る途中に「幽霊」を見たと村に吹聴して、
『あの回り角の、岩の上に白い身なりの女が立っていた。若い女だった。ぎょっとして、見ていると』
と言って、辺りを見回し深いため息とともに声を潜めて
『女はふっと消えた』
村人はなおも続けて、
『わしは、こわーて(怖くて)な。もう後のことはわからん。夢中で逃げてきた』
というものです。
『ほんまか~あ~?』
聞いた別の村人が、疑いの目で聞くと
『モリちゃんが真っ青な顔で言うとったさかい、間違いなかろ』
モリちゃんは、村の若手の働き者でまじめ男でした。
『だな。あいつが、言うんなら、ホンマか知れん』
という話を、わたしの父に話すのを、わたしも聞き耳を立てずに聞いておりました。
■ 若い女性が身を投げた
その幽霊がでた数日前に、その岩から飛び降り自殺をした、若い女性がいたという話が突然に話が狭い村中に広がりました。
後年、わたしがその小高い岩山を登って下をのぞくと、三十メートル以上はあろうかと思われる断崖で、広くも水量もない川が周囲が鬱蒼とした木々に覆われ、僅かに認められる程度でした。
確かに飛び降りたなら、生きてはいられまいと思える目眩(めまい)のする高さでした。
しかし、その後の話には、身を投げて亡くなった若い女性の遺体や身元の話は一向に伝わって来ず、誰かの幽霊の話の信憑性(しんぴょうせい)を高める為の創作ではないか、という声も上がりましたが、結局わたしの子供の頃の時代の話であり、判然としないまま立ち消えとなりました。
わたしは、人一倍の怖がりでした(今も)ので、女性のそれ以上の行方(ゆくえ)を知りたいとも思わず、誰にも聞かずじまいにして、成人して村を出ました。
■ 又聞き
女性の話は、父の耳に入るまで、聞き伝えの間に人が重なっているため、どこかで少し変節し、尾ひれがついたかもしれない。
一時は、村の同級生の間でも、盛んに話題に登ったが、大人が知っていること以上のものである筈もなく、ただ、夜には通らないに越したことはない、と申し合わせたものでした。その時誰かが真顔で言いました。
『女の人の怨念(おんねん)がそこに居(お)んねん』
などは、誰も笑わぬダジャレでしたね。
■ 岩屋に小さな祠
今、その時ことを振り返って見ますと、小高い岩山の窪地に小さな祠(ほこら)が当時からあったのを思い出します。おそらくは、白い装束の氏子が礼拝(らいはい)していたのを、村人が見間違えたのではあるまいか。
街灯の一つとしてない、田舎道で白い蛇のようにくねった未舗装の道路だけでも、何か恐怖心を掻き立てるもの。幽霊の話も、身投げた若い女性の話も年の暮れには、誰も語ることもなくなり、尻切れトンボのように終わりとなりました。
この幽霊の話も「幽霊の正体見たり枯れ尾花」というところだったのかもしれません。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」とは恐怖心や疑いの気持ちがあると、何でもないものまで恐ろしいものに見えることのたとえ。尾花はススキのこと。
当時のわたしの寒村にはこうした話が、話題作りのためか枚挙の暇なかった。
■ 追記
11月最初の日曜日、所用があり、車で通りかかることがありました。4人のむつけき男性が、車を止めて何故か祝杯を挙げている様子。「君主う危うきに近寄らず」、そのまま通り過ぎてしまいました。
あのような伝説の場所で、これまで述べてきたような話は、知ってか知らずか酒を飲むのは、当時の一騒ぎは何だったのだろう。わたしほど程でもないが、そう離れた歳でもない男たちが、その話を知らぬはずもなかろうにと思いましたね。
なお、通りすがりの一瞬でしたが、確かに岩の少し重なった辺りに祠(ほこら)はあって、新しくはないが、酷く傷んでいる様子もありませんでしたので、今でもちゃんと手入れをする氏子がいることが伺えて、何故か安堵しました。