先日、わたしの町内に、今年春以降、始めてと思われる焼き芋屋さんが現れました。ここ数年前から寒さが増すと頻繁に通るのだが、買う人はわたしの見るところでは、お隣さんの二人の小学生の少女がいる家だけの様子。
わたしも、一度買ったことがあります。その焼き芋屋さんが今に通る人物と同じかどうかはわからない。しかし買ってみて、こちらが思っている程の「ホッカホカ」でもなかった。その上、それが原因かは分からないが、そう旨いとも思えなかった。
それからは、焼き芋屋さんが通っても、声をかけようとはしていない。もとより、わたしは少しも食べたいとは想いません。少年の頃に嫌という程に食べてきたから。ただ、妻子はほっかほっかなら食べたがる。
■ リヤカー
そういえば、わたしが買った記憶のある焼き芋屋さんは、リヤカーの屋台を引いていた。闇夜に盛んに白い湯気が立上がらせながら、同時にその金属の筒から出る高い音。薄着の男性が、辺りを探るようにしながらやってきたものでした。
『焼き芋~ 石焼き芋~』
と間を取りながら繰り返して通りを流します。すると、何軒かが買いに出る、情緒があってなかなかの人気。
それは、かなり遠くから聞こえだしながら、なかなか近くにまで来ない。途中で捕まったのかも知れない。それでも掛け声が段々と大きくなってくる。
わたしの前を通り過ぎようとする頃には少し煩(うるさ)いくらい。その少し前に、家の前に出て行けば、十分な余裕で彼のリヤカーを止めることができたのです。
■ 経自動車
それが、今は見かけるのは軽自動車が屋台での販売。遠くに聞こえたからと、玄関に立っても、あっという間にこちらに迫り、玄関の戸を開ける頃には既に通り過ぎている、といった塩梅なのです。
情緒もなければ時間もない。なんと忙(せわ)しない!
しかも彼の車からはあののんびりとして、長く尾を引くような声はない。
『焼き芋~ 石焼き芋~』と「石焼」が一回の掛け声一度は付く筈のことばが、今のは、
『焼き芋!』
と一回きり。何か怒っているように、そうでなければ吐き捨てるような男性の声がレコーダーから等間隔で流れて来ます。それも情緒がないと思う。
『あんなスピードで回って、よく買ってくれる人がいるなあ』
とわたしが言い
『ほんとに、あれじゃ余程早く出ないと捕まらない。年寄りなら更に無理』
と妻が答える。
■ お隣さん
しかし、絶妙のタイミングであったのでしょうか。ある日、お隣さんはうまい具合に焼き芋屋の車を止めることが出来ました。そして、推測ですがいくつかを買ったようです。
『ヘーイ、まいど~』
という声がして、窓から覗くと車は既に去り行くところでした。
以来、焼き芋屋さんはわたしの家の前より少し前に来ると、ガクンと急にスピードを落とし、わたしの家の前では殆ど止まるくらい。
すると、お隣さんから複数人の勢いよく階段を駆け下りる音がして、奥方と二人の姉妹が彼の元に駆け参じるという、いわば条件反射の行動が双方に生まれ、かつ固い絆が構築されているのです。
『頻繁に来るけど、お隣さんも今日は芋を食べたくない日だってあるだろうに』
と思う。
しかし、他に誰も買ってはいないようだし、焼き芋屋さんもお隣の前では、徐行している、いや、もしかしたら停車しているかも知れないから、そうなら、食べたくなくても買って上げるしかないだろう。
今日も焼き芋屋さんは来て、お隣に売り、そしてまた、旋風(つむじかぜ)のように去って行ったのがわかると、
わたしはどうしても「ニヤリ」としてしまう。