ここに置いた筈の物が、何故かない。
そういう経験は誰にだってある。その結果には、勘違いであったというものも少なくはありません。しかし、誰しも自分を信じたがるもので、自分がどこかで紛失した、違うところに置いたのかも知れない、置いたと思うところに置かなかったかも知れないとは少しも疑わない。
それで、自然と自分以外に目が向く。誰かが持って行った、正確に言うなら盗まれたと。
それで大騒ぎをしてしまう。よく考えたらいいものを、なくなったものが、高価なものであったり、お金の額は知れているが、カードが一杯に入っている財布であったりすると、気が動転して思考が中断するらしのです。
しかし、こういう思い込みは、後日顔を赤らめねばならなくなることも少なくありません。
■ 財布を置き忘れる
買い物に車で出ました。買い物の場合、大抵は妻が一緒にいた方が都合がよい。財務省である妻がいないと、立て替え支払いや、使用用途の抗議により代金の回収不能となるケースが多い上に、レジに並ぶのもいやだから。
しかし、わたし自身しか利用も嗜好(しこう)もないものは、一人で出かけて行って、自らの虎の子を使う。
この間がそうでした。
店について、持って出た財布を車のボンネットに置いたまま、店で買い物をし、レジに並んで、そのことに気が付いた。急いで、買うはずの物を棚に返して、車まで戻る。しかし、そこに財布はない。どうしてそんなところに置いたのか?それが自分でもわからない。
■ 記憶をたどる
記憶をたどってみるが、気が動転しているのか、ボンネットに置いたとする記憶もだんだん怪しくなって、本当に置いたまま車を離れたのかも怪しくなってました。
『盗まれた?どうしよう』
と思いが先走って、車を降りたところまでは、明快に記憶をたどれる。店に入って買い物したこと、レジに並んだところ、気が付いて車に戻った今、これらは皆、映画のシーンの再生のように鮮明な記憶なのに、車に財布を置いたところだけが、抜け落ちているのです。
■ 我が家にて
動転したまま、10分ほどの我が家に帰り、あちこちを探し回る。
家族は、わたしの様子を怪訝そうに見ていて
『どうしたん?』
『なにさがしてんの?』
わたしはもしかしたら、その問いに答える前に、発見出来るかも知れないと思うから、応えない。
『おかしいな、そんな筈ないのに。車を降りて、あそこに置いたから、、、』
探しながらも記憶をたどりますが埒があきせん。
『あれえー、盗まれたのかもな。エライこっちゃがな』
「ははあ、このおやじ何かなくしよったな」と思ったかどうか知れませんが、
『忘れ物したんかいな。何?』
と娘。
白状しました。
『何でそんなとこにおくのん?ちゃんと持っておかんと』
と妻はなじり、娘はテキパキと店に問い合わせて、店には無いと確認。妻は車の中をゴソゴソと大捜索にと及びました。
■ 財布見つかる
財布は車の運転席と助手席の間のゴミゴミとした場所から発見されました。
『ここにあるがな、よう見てみんかい』
とボロクソ。
財布を持って車を降りた、ボンネットに置いたというのは、わたしの記憶違いだったのです。いくら記憶を再生しても、そこは元よりあり得ないコマであって、欠けていた訳ではありませんでした。
それでも、わたしは
『おかしいな、そんなことはない』
とか、
『ボンネットに確かに置いた、おかしいな、おかしいな、、、』
すると娘が付き合いきれんといった顔で
『おかしかったら、笑えよ』