二十歳代はじめ頃、大阪の地下鉄の終点駅辺りのアパートに住んでいました。アパートと言っても文化住宅と呼ばれるような片側廊下形式のものではありません。室内の廊下の両側に貸し部屋があるいわゆる中廊下型でした。
木造モルタル二階建てで、当時でも相当年代物でしたが、そこを出てから何十年と経っているので、跡形もないだろうと思いながら、先日、所用があったことから、懐かしく思い、尋ねてみました。
■ その建物は残っていた
その建物は、当時と変わりなくそこにありました。一見して、記憶の中の映像と現物とが見事に合致して、年月の隔たりを感じさせませんでした。しかし、周辺にはあった同じようなアパートは、様変わりして新しい建物に取って代られています。
何か、そのアパートだけが、わたしの思い出の再現のために、忽然と現れたかと思うほどでした。
わたしは、言いようのない感慨にふけりながら、しばらくそのアパートの出入りを見ていましたが、中を改装中のようで、建築関係の業者の出入り以外には入居しているらしい人を見かけることはついにありませんでした。
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■ 管理人
そのアパートは、前にの書いた通りの2階建てで、1階の玄関横に管理人の老いた女性が住まっていました。玄関は常に施錠されてはいませんでしたが、入外出はかなり厳密で、遅くに帰るとよく叱責されたものです。
しかし、家賃などを持参すると、管理人室に入れてくれてお茶や菓子も出してくれたりもしました。そんな時には、よくわたしの身の上などをきかれたものです。また、問わず語りに、彼女の今日までの生涯を教えてくれもした。
そこは、6畳程の一間(ひとま)で、彼女は独身らしかった。
■ 男女同棟
このようなアパートは、本来、法的に男女で最低でも階をもって、分ける必要がありました。が、そういう事が厳密でない時代であったのか、あるいは、分けなければならないことを知っていながら、入居者の確保のために、混交としたのかは不明なのですが、ともかく、男女の数が一二階ともに同数程度であったと記憶しています。
■ 若い女性
若い女性が何人もいましたが、わたしより若いと思えるのは一人だけでした。京都の日本海側の出身であったことから、何かの拍子に会話を持つようになり、
『夏に遊びに来られたら』
と言って貰える程になりました。同郷の人とこんな都会で会えたことが、うれしかった。
彼女は三畳の間に住んでいました。本当につつましやかな、部屋で越してきたばかりで、生活用品が殆ど見当たりませんでした。
■ 先客あり
ある日、共同のトイレにわたしは用を足すために、二つある個室に入ろうとしていました。トイレの入口にはスリッパが脱がれており、既に先客があることが知れました。一旦、先客が出てから改めて入っても良かったのですが、わたしも、我慢に時間がありません。
トイレのスリッパを履き、二つある個室のいずれも戸が閉まっています。わたしは、どちらの室が開いているのかの判断に困りました。
ノックをして確かめれば良かったのにと悔やまれます。今となっては。しかし、その時はそういう事で確かめるのが一般的な時代ではありませんでした。
耳を澄まし、全神経を集中して人の気配を伺いましたが、どちらの室にいるのかが判断できません。こうなっては、最早、自分の勘を信じるしかありません。
■ 先客の扉を開く
「えい!」とばかりに開いたトイレの個室には、うら若き女性が入っていました。お尻をめくりあげて、用を足していたのです。扉の鍵は相当前から壊れていて、彼女は、壊れた鍵を持っていましたが、わたしの開ける力に抗(あらが)うことが出来ず、扉と共に中腰までに及びました。
『ああ~』
と彼女
『ああ! すみません』
とわたし、、、
わたしの胸は早鐘を打つ。しまったと思ってももう遅い。
急いて戸を閉めて、トイレからわたしは出て、自分の部屋に戻りました。
数日後、彼女はアパートからいなくなりました。あの、良い感じまで進んでいた儚い期待は、最悪の事態のまま、終わりを告げたのでした。
今は、どうしているかしら?