聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

初めてのチョコ

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画像出典:ANAショッピング

わたしが小学に入った頃、京都市内から叔母が一泊で来ることがありました。彼女は、母である祖母を慰労するためにやって来る、この出会いには、数多くのお土産や古着がありました。

 

わたし達の日々の服装は殆どがこの古着で賄われていました。というのも、経済的に豊かな叔母には息子が二人いて年頃も殆ど私と兄と近かったので、間に合ったのです。わたしの家は貧しく、新しい洋服を買って貰えることは稀でしたから。

 

 

■ お土産

お土産には、わたしが見たことも食べたこともないものが数多くありました。チョコレートもその一つでした。今日のように、綺麗な箱に入っていた訳ではなく、トーメイの袋に小分けした形で、数個が入っているだけでした。

 

 

■ どのように食べるのか

今にして思えばチョコレートと一見してわかったことでしょう。しかし、その時は初めて見た食べ物でありました。わたし達兄弟3人は、この固くて、焦げ茶色の食べ物を前にして困惑しました。

 

「どのようにして食べればよいのか?」

 

それは、漉し餡の固まったものであるのかも知れない、と最初は思われました。しかし、少し違う。表面がつるんとしていて、ピンポン玉ほどの大きさがあるが、形状は同じではありません。

 

いくら知恵を絞っても、納得できる説明が思い付きません。食べ物には違いないのだが、匂いも多少はするが、嗅いだことがない。

 

「どうしたものか?・・・」

叔母に聞けばよかったのですが、既に京都市内に帰ってから数日はたっています。わたしの家に電話があるわけでもない。お隣の家に電話を借りなくてはならない。お金もいる。

 

余談ですが、当時、借りた電話の通話が終われば、いったん受話器を置き電話の側面の摘まみを何回か回すと、交換手がでます。そして、通話料金を聞くというシステムでした。

 

 

■ 食べ方の方法を考案

さて、わたしの兄が、

『これは、湯に溶いて食べるものに違いない』

と結論付けました。それにわたしと弟は同意しました。そこで、白湯を茶碗に張り、その中に1個の茶色の塊を入れました。

 

そして、箸でかき混ぜると、少し溶けてきました。さらにかき混ぜて湯が茶色に濁ったるところで、

 

『どんな味か飲んでみよう』

と兄がいい、まず彼がそうしました。その時の彼の世にも情けない顔を忘れることは出来ません。

 

『げー。なに?なんの味もせんぞ』

『どれどれ』

わたし達は飲みまわしてみましたが、不味さ以外に何もありません。甘くも辛くもない、ただ白湯(さゆ)の気持ちの悪いぬるさ加減が、かえって不味さに勢いを加えるばかりです。

 

 

■ 捨てる

わたし達は、この食べ物である、チョコレートを結局食べることなく破棄しました。後年、わたし達の無知に人知れず顔を赤らめることとなりました。というのも、わたしはチョコレートを正式に食べる機会があって、一つはそれをそのまま口に頬張って得も言われぬおいしさに酔いしれたからです。

 

そのうちの一つは破棄当時のように白湯に溶いて飲んでみました。

 

確かに、その不味さは当時の悪夢のような味がしたものです。