何かの目的で車で遠出をすることがあります。その道中の1/4程度のところで、ふと
『おれ、鍵をかけたかな?』
と、少し不安に思うことがあります。家族は、同じ車にいるので、家は勿論誰もいない。どうだったかな、と思いながらも玄関の鍵を掛けて出たことに確信が持てません。しかし、掛けて出た気もします。
■ 思い出せない
かといって、このまま6時間ほども出ているのはやっぱり、気になるので、同乗の家族に白状するしかありません。
『おれ、玄関のドアのカギを掛けたかなあ、、、』
というと、
『え、掛けたのと違うの?』
とか
『おぼえてへんのかいな?』
と、呆れ声が返って来るのは、致し方ないことではあります。記憶を辿ってみますが、何故かそこだけが、霧がかかったようになったり、あるいは記憶の再生時にコマをカットしたように抜け落ちていたりします。
■ 大丈夫だろう
『まあ、掛けたとおもうな』
と強気になって言っても、家族の不信感は拭えません。
「帰って、確認した方がよいよ」の言葉に諭されて帰ることになります。一日中気にかけていては、出かけた意義もありませんから。
■ 帰ってみれば、、、
そこで、時間のロスを気にして、少し急いで帰りかけると、
『こういう時に事故を起こすから、飛ばさないで』など言われる。
ようやくたどり着いて確認すれば、鍵は掛けられていた、というのが大方の人の結果であろうかと思います。わたしの場合でもおなじです。出かけるという、一連の動作の内に、「鍵を掛けるという行為」も関連付けられているからでしょうか。
しかし、それを意識していないと、記憶にとどまっていない時があります。
■ ガスストーブの切り忘れ
友人にこうした物忘れを話しますと、友人も「わが意を得たり」の反応で、彼の家庭のことも話してくれたりします。
『この間、京都から四国に行く道中で、神戸まで行ったところで、カミさんがガスストーブを切ったかどうか分からない』
と言い出したといいます。それで、引き返したて見たら、「消してあった」。引き返した距離百キロ近く。
『最近、多いのよ。嫁はんの物忘れ』とぼやくことしきり。確かに、そこまで行って引き返すのは辛かろうと、うなずきながら思いましたね。
■ だからと言って
大抵が、懸念に及ばない結果であることで済みます。だからと言っても、わたしの場合では、本当に玄関の鍵を掛け忘れることもあります。ここが、わたしがわたしを信用できない点であるのです。
■ 声だし点呼
そこで、建築現場でよく行っている声出し点呼を行うようにしております。
それは、すべて家の内部の戸締りが出来た時点で、
流し台周りでは、
『ガスコンロ 良いか よし!』
窓では、
『窓鍵、良いか よし!』
という風に、実際に声を出して点呼するのです。少し滑稽ですが、点検したことを声で記憶に叩き込むという訳です。こうすると、不思議に覚えています。玄関の鍵を外から掛け終わった後で、確認の時にも声を出すのは、気恥ずかしいものですが、一番確かではあります。
お出かけの場合には、是非「声出し点呼」をやってみてください。後顧に憂いなしであります。