人生が長いと、
『もしも、あの時こうしていればよかった』
とか
『もしもあの時、こちらを選ばなかったら』
などと思うことは、時々あります。それを考えたところで、どうにか成る訳ではありません。が、何かが上手くいかない時には、そう思うことも自然なことであろうかと思います。
■ コントのように
テレビのコントのように、「お馴染みのもしものコーナー」のように自分の人生を想像して楽しむのは悪くはありません。
■ 後悔とは愚痴
しかし、あの時こうしておけばよかったと思うそのことや、進む道をこちらではなくあちらにしておけば、本当に今よりより良い結果になったでしょうか。
なったとも思えるし、ならなかったとも考えられるものですが、結局のところ後悔のという愚痴に過ぎません。それらのいずれも、もしものその道を歩けば、そこにも必ず困難や後悔はあります。そしてもしかすれば、今愚痴をこぼしている道を選べばよかったと思うかも知れません。
■ どの道にも
しかし、どう生きても、必ず後悔はあります。
宮本武蔵は
『我が人生に一片の悔いなし』
といったと言います。
彼に本当に悔いがないのなら、そんなことをわざわざ言いません。
悔いだらけの人生であったが、この道しかなかった。それが真実でしょう。わたしたちは彼ほどに、悔いを持たないから、言い換えれば、それ程強烈な生き方をしてはいないから、
『我が人生に一片の悔いなし』
などとは言わないだけです。言えないだけです。
■ 歩んだ道に花を咲かす
複数の人生を歩めないのであれば、その道に花を咲かす努力をするしかありません。それが、たとえ人生の半分を過ぎてからでも遅くはありません。
わたしが選んだ道にわたし自身の手で、努力で花を咲かせるしか、浮かぶ瀬はありません。そのためには、
「自らの立つ足元を、深く掘ればいずくにも清水が湧くべし」は、高山樗牛(たかやま ちょぎゅう 明治の思想家)の言葉です。
趣味やお金儲け、あるいは研究、人間関係でも、今置かれている自分の位置を考えて、その中から、深く入り込み求めて行けば、人生を豊かにしてくれる何かを得られるだろうというほどの理解でよいでしょうか。