語弊があるかも知れません。「気前の良い人に貧乏はくる」は「気前の良い人には、お金持ちが少ない」と言いたかっただけです。わたしの周りにも思い当たる人はいますから。
そういう人は、
『お金持ちはケチだね』
といいます。そうかも知れませんが、ケチだからお金持ちに成れたともいえるかと思います。
■ ある例
ネット動画を見ている時、今は亡くなって久しい有名なトリオの芸人さんのリーダーに当たる人の家族の、現在の生活を取材したものがありました。
彼が、現役の頃には人気もあり多忙な毎日を送っているのを、テレビで見るにつけ、その収入は如何ほどであろうか、きっと相当にいいであろうと思ったものです。
ネット動画は、狭くて暗い住まいの一室を映し出していました。
■ 残された家族
そこは、売れっ子で有名なその芸人さんの残された家族の暮らす住まいであったのです。狭くて古ぼけた部屋と薄暗い照明、部屋の中央に置かれた卓袱台(ちゃぶだい)に向かい合って座った、二人の家族。
30歳を過ぎたらしい子息、老いたその母親は、その芸人さんの残された家族であったのです。あれほどの売れっ子で稼ぎも良かったのに何故?
■ 気前が良かった
亡くなった芸人さんは、人柄や良く、気前も良かったらしく、他人に飲み食いなどを惜しみなくお金を出した。いわゆるおごって来たそうです。そして、突然に彼は死に、家族は貯金がほぼゼロであったと知ることとなりました。
殆ど稼いだだけ使った。
遺族は、収入がなくなって、パートなどで、食うや食わずの生活で凌いでいるのだと言います。
■ そして今でも
これは一例でした。が、今のような不況のさなかであっても、気前の良い人は残っています。その性格は、景気が悪くなったとしても、あっさりと方向転換出来るものでもなく、不景気ななりに、気前は良いのです。気前よくすると、感謝され、持ち上げられることが病みつきになるのでしょうかね。
その結果、自分は食うや食わずの日々の生活を送りながら、人にはそれの10倍近くの、手土産や食事代を出してくれるのです。それが、痛々しくて辞退したいのですが、それをするとかえって、彼らは不服の声を上げることがあります。
■ 気前の良い人に貧乏はくる
従って、かれらは、使うためにお金を貯めていると言ってもいいので、お金は貯まりません。そうまでして、他の人のためにお金を出しても、自分が更に困窮したからといって、生活費を援助してくれる訳でもありません。
結局のところ、お金に苦労しながら生きていくしかありません。気前よく金を出してあげた人の豊かな生活にため息をつきながら。
それは、「アリとキリギリス」の話に少し似ています。
「貧乏暇なし」ではなく「貧乏カネなし」であります。