聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

養鶏

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画像出典:マイナビ 農業

昔も今も情報は、何かを計画したり始めようとする人にとっては、もっとも重要なことであることに変わりはありません。あれが儲かるという話が広がれればそれを後追いする。実はもうその頃に後追いしても「時すでに遅し」の話は、昔も今も変わりません。

 

という書き出しですが、難しいことは書きません。

 

■ ニワトリを300羽飼っていた

わたしが小学生の頃に、父はニワトリを300程度飼いはじめました。要するに養鶏です。ニワトリを飼う理由は、卵が高値で売れるという、その情報を元に最初に村の誰かが始めたものに、他の人たちが次々に追随したものでした。

 

■ 父も追随

父は、卵が高騰して儲かるらしい、と既に出汁殻(だしがら)のような情報を得て始めたころには、既に、しんがりというか最後発組になっておりました。ニワトリを飼い始めたのは、わたしたちの村だけでなく、京都という広い地域に渡っていました。

 

■ 昔の農業

昔から、農業といえば、村の多くの家が田を耕し始めれば、我が家も始める。種をまくのを見れば、我が家も蒔く。こういうパターンで充分でした。一昨年も去年も、今年であっても何一つ変わることのないというものでした、昔は。

 

■ 農業で食うには

しかし、その頃のわたしたちの村にも、コメ作りの農業だけでは食えないために副業をすることが多くなってきました。木を伐り炭を焼く、山蕗(ふき)きやわらびなどの山菜、柴などを売ることに精を出したものであります。これらも、他人の始めた事のみよう見真似で誰もがやっておりました。

 

 

■ 降って沸いた

その頃に、降って沸いたような養鶏に遅ればせながら父が参入したのも分からなくはなかったのですが、既に値崩れも一部では始まっていたようでした。

しかし、今のようにネットが充実している時代ではありませんでしたので、その情報も後で知ることとなったのです。

 

■ 結局儲からず廃業

結局、損だけを残して、父は養鶏を廃業しました。始めるならもっと情報を得るのが早くなければならなかったといえます。しかし、父が最初にその話を知ったとしても、それを始めたかどうか。養鶏が儲かるという情報を元に賭けのような新しい事業開始に決断出来たかは、かなり怪しい。

 

従来からの農業をやって来た父には、その情報が活かせていれば儲かり、値崩れする頃には、さっさと廃業出来たでしょうか。

 

情報は、いち早く得ることが大切ですが、それを利用し、活かしたことが出来なければ、無用の長物どころか損をしかねません。それを使う人によって価値となるのか、そうでなくなるのかは結局その人次第でしょうから。