ある暖かい春の日、縁側に腰を下ろしていますと、わたしの家に向かって一人のみすぼらしい姿の坊さんが歩いて来るのを見つけました。歳の頃は60歳代後半。薄汚れた着物に髭が伸び放題。頭はどうだったか記憶が残っていませんが、坊さんなので剃髪していたか、自然に脱毛して、薄毛であったかと思います。
これは、わたしの子供の頃のことのはなし。
■ 紀州の和尚さん
紀州(今の和歌山県)のどこかの和尚さんが、即ちその人でありました。それ以上のことを我が家の誰もが知りませんでしたし、知ろうともしませんでした。
彼は、来れば長い時には2週間。短ければほんの数日、我が家に逗留するのです。
自らが、逗留させて欲しいと言ってきたのであろうと思いますが、父は祖父の代からの付き合いであったとして、快くそれを許して、三度の食事に風呂、寝床まで用意して丁重にもてなしていました。無論、お金は取りません。なんて、長閑(のどか)で心豊かな時代であったことでしょう。
だからといって、食事を含めて特別扱いは全くなかったと思います。我が家は貧乏でしたので、粗食でしたが、特に不服も不平もいうことなく、まるで雲の上の仙人のような存在でした。
お経は仏壇に向かって少し上げてくれたようですが、昼間の時間の過ごし方は殆ど覚えておりません。
■ 定期的に来る
僧侶になる夢を持っていながら、結核で早世した家族が我が家に居たという話を聞いたことがありました。それで、祖父や父に和尚に何かの親近感がもったのかは、今考えなおしてもも判然としません。
わたしが、記憶にある限りでは、数年このようにして、現れたものでした。
■ そして出立(しゅったつ)
ある日に紀州の和尚さんは、予告なく
『世話になった』
といって、出立してしまうのが常でした。前もって何時いつと決めているわけでもなく、気が向けばまた、ふらっと旅に出てしまうようでした。それから一年間は、来ない。が、一年が経てばまた、必ず来ると繰り返しでした。わたしの記憶の限りでは、3年に及びました。
■ そして来なくなった
また春が巡り来ました。しかし、いつもならふいと現れるその老人は、とうとう来ませんでした。そしてそれ以降も。病気にかかったか、それとも、亡くなったのか分からず仕舞で、何の知らせもないままに。
それを我が家の誰も気にする訳でもありません。
『今年はこないのかな?』
と誰かが言った程度でした。
もしかすると、あの紀州の和尚さんは、自称の風来坊だったのかも知れません。