聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

淀川の青いシート

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画像出典:号外net

 

京都方面から大阪市・梅田駅に向かう阪急電車が、川幅のある淀川の鉄橋に差し掛かる。そこは、一瞬開けた見晴らしのよい眺望が幾秒か望める。

 

電車の乗降口近くに立って、その景色を見ていると、淀川の河川敷の芦原に青色のシートと見受けられるものが点在していることに気が付きます。気を留めることがなければ、何という事のない風景かも知れません。

 

この青いシートは、様々な理由からその身を持ち崩して、放浪の身となった人たちのささやかな住まいであるのです。自身の身や社会の変化で起こったことに起因する様々な理由を持って、ここにたどり着くしかなかった、日本人の人生上の難民がそこに住まっているのです。

 

■ 久しく

久しく、わたしは阪急電車に乗って、その光景を目にしてを通過することはありません。しかし、ここに暮らす人が増えていることはあっても、減っていることは、決して無いでありましょう。日本人は、年ごとに貧しくなりつつあります。しかも、この新コロナウィルスは、人の生活をさらに蝕んだ筈です。

 

■ 理由

そこでは、一人の生活者が殆どで、そうなる前に生活保護受給が出来たであろうとか、肉親に援助を乞うことも出来たのではとも思う。けれども、たとえ兄弟姉妹であっても、今の世で互いに手を差し伸べられるだけの余力がある人がどれだけいるでしょう。

 

もう、肉親であっても、助けようとすれば、共に倒れるしかありません。助けたくても出来ないのが実情です。

 

従って、ここに暮らす人たちは、様々な理由から助けが叶わなかったのであります。努力が足りなかったからだと非難することも可能かも知れません。しかし、人には他人にわかって貰うことが決してないと思える事情があるものです。

 

そして、極寒や酷暑に耐えながら、いつまでとも知れない生活を送っています。どのような収入があって、どのような食べ物を口にしているのでしょうか。

 

■ 蔑みも、哀れとも

わたしは、彼らを蔑(さげす)むことも、哀れとも思いません。気の毒には思います。

 

わたしにも、そのような身にいつなるかは、本当のところ分からないから。運よく、そのような生活をしないで済んではいるものの、それは全くの運が良かったに過ぎません。