人の目さえ気にしないでいられるなら、その分の使う筈のお金は今よりは残ると思う。
車や服装に、人はわたしも含めて、自分の懐事情より無理をしてつぎ込んでいるものです。それというのも、心のどこかに、人目を意識することがあるからでしょう。
■ 人目
人目と言っても近所の人もあれば、会社の同僚、見知らぬ人々などの身近から赤の他人まで非常な範囲にまたがります。意識すれば、その人たちの誰もの視線も気になるものですが、相手が自分をどう見ているのかは、別であると考えるのが妥当です。
時々、若い女性は
『女の子からがん見された』
とか
『男性からじっと見られた』
などと嫌悪感の口調ながら、どこかに誇らしさが滲(にじ)んでいる告白を時々聞きますが、確かにそういう事はあるでしょう。
若い時なら、是非あっていいことではあります。しかし、それはその場限りのことに過ぎません。自分が意識するほどの衝撃を与えた訳ではありません。大抵の場合に於いて。そして、それが高級品の服装やバッグを身に付けていたことに依るもなのかは判然としません。
■ いい車やいい服装も
ほぼ同様に、高級車と呼ばれたり、有名なブランドのバッグや服装で街中にいると確かに多くの人の人目を引くことはあるでしょう。その時うたかたの優越感や自尊心の高揚は味わえるかも知れません。
■ お金にゆとりがない
しかし、お金にゆとりがないのなら、この僅かな時間の優越感に浸ることのための出費は、止めるに越したことはありません。これらの優越感などによって、人生が変わる訳でも、本当に裕福になれる訳でもないのだから。
■ 人は自分が思うほど自分を見ていない
人目が気になるとはいっても、人は気にしている本人が思うほど気に掛けてはいないものです。それが証拠に、余程の奇抜な服装でなければ、上下の服装の色がどんなで、形はどうであったかを、近所の人でさえ殆ど覚えていません。
しかし、そこそこの地位に付くと、相応の見栄を張らなければ、人から眉をひそめられるかも知れないと考えるものです。
『あそこのご主人、部長さんらしいけど、なんかパッとしない服装だね』
とか
『倹約家かだからでしょう』
などと、少し、いやいや相当な嫌味の陰口をきかれる。当人にはそう思われると思えてくるものです。従って、思われる程の収入ではないのに、ちょっと無理をしてしまう事てあります。それを、また続けて行かねばならないし、一つの物だけの背伸びで済ませないのも痛い。
■ 見苦しい
見苦しいほどでなければ、そういうものは必要ないでしょう。ホントにいいものへの多少の見栄はいいとも思いますが、生活を圧迫したり、遊離するのはいただけません。そうではなくて、今の生活に沿った、背伸びのないお金の使い方をするなら、今よりもう少しお金は残せるはずだと思う。