若い人、子供ではなく成人の特に女性から
『おっちゃん』
と呼ばれてもそう気分を害せず受け入れられる、あるいはその衝撃に堪えること出来る歳は幾つくらいでしょうか。
■ 例えば
例えば、わたし。わたしは、独身で27歳の時に友人二人とキャンプに行く途中の田舎町車を停めて、自販機で飲み物を買おうとしてその前に立った時、ほぼ同時に車で到着したらしい若い女性に
『おっちゃん』
と声を掛けられたのでした。わたしは、わたしに掛けられた言葉とは思わず、知らん顔をしていました。わたしの連れの二人に声を掛けたものであろう、、、
連れとわたしでは、わたしは一番若く見えると自負していました。外見上では。
『おっちゃん。道を教えてくれへんか』
振りけってみれば、髪を茶に染めたよく言えば垢抜けた若い女性が二人、にこやかに立っていました。まだ、カーナビなどが殆ど普及していない時代でしたので、道路地図を頼りに走るしかなく、一旦迷うと自分が日本人で日本に住んでいて、日本を移動中だあるにもかかわらず、どこにいてどちら側が北なのさえ分からないこともよくありました。
そういう時には、地元の人に聞くのが一番確かでありました。
■ つまり
つまりわたしは、地元のオヤジさんと間違われた。当時のわたしは、27歳の多分バリバリの若者でありましたが、頭はその4本に1本と思われる度合いに、白髪交じっており、年齢の割には年上に見られたのでありましょう。色黒で少し夕闇が迫っておりましたので、農家の人と間違われたのかも知れません。
■ 道を教える
わたしと若い女性のやり取りに連れが加わって、ほぼ地元出身の連れの一人が、異様な親切指導で道を教えると、
『ありがとう』
と教えた連れに手を振って去って行きました。その時にわたしは、
『なんで、あいつにはおっちゃんの言葉がつかへんのや?』
と憤慨したことを今でも、執念深く覚えております。
■ 髪を染める
その時の反省から、髪を染め始めましたが元来無精者のわたしのことで、ちょっと染める間隔を怠ると、新芽である白いのが目立つようになり、かえって見苦しくなったものです。
その後「おっちゃん」と、姪や甥がわたしを呼ぶのにも慣れて、結婚を機に染めるのを諦め、短髪の胡麻塩頭となり、正真正銘の「おっちゃん」にふさわしくなりましたが、
■ 今でも
今でも
「お兄さん」と呼ばれたい気はしないでもない。しかし、そのように声を掛けてくれる人は、行きつけのスナックのわたしよりいくらか年上と見えるママ、飲み屋街の客引きのみであります。