聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

母の近視

 

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画像出典:びいさ眼科


母が実は目が悪かったと気が付いたのは、母が六十半ばを過ぎたころのことでした。目が悪かったというのは、近視であるという意味で、何かの眼病のことではありません。

 

母は、自分の視力が人より劣っているとは、生まれてこの方一度も思わなかったようで、遠くを見る時にも、何かを確かめる為に少し離れたところを見る時にも、一度として目を細めることもありませんでした。

 

■ よく考えみれば

従って、母が近視であるとは本人はおろか、毎日顔を合わしている父や子であるわたし達三人の兄弟ですら知らなかったのです。しかしよく考えてみればそれまで、母が近視ではないかと思われる時が無いでは無かった。わたし達は、母と暮らしたのは高校生までのことで、その当時の限りではありますが。

 

母は無筆ではなかったものの、生来貧しい家庭の育ちで、早くから働きに出て十分な義務教育すら受けることが出来ていなくて、ちょっとした文字の判読にもつまずくことが多かった。だから、見えないのではなく読めないのであろう、とわたしたちは考えていました。

 

そういう事実も少しはあったかもしれないけれども、それが実は近視のせいであったとは。

 

何か母の周りの小さな物をとって貰おうとして、それを指さすと

『どれ?これ?』

と見当はずれなものばかりを取り上げて、かざしたことがよくありました。

『それじゃない。そのテーブルの端の、、、』

と言っても、分からないことがよくありました。実は見えていなかったのです。

 

■ 誰しもが

母は、自分がはっきりと見える範囲が、他の誰においても同じ程度であろうと考えていいたようです。

『あれが、はっきりと見えるのかい?』

と母が、わたしと違わない位に離れた位置から、何かの書かれた紙がぶら下がっているのをわたしが読み聞かせた時のことです。母より驚いたのは、わたしの方でした。

 

『え、おふくろはあれが見えないのかい?』

『見えるけど、ぼやけているから』

といい、更に

『みんなも同じ位に見えないものだと思ってた』

と言ったのです。

 

すぐさま、メガネを買い与えると、

『世の中が変わったみたいだ』

喜んでいたのに、その後もメガネをかけることも殆どなかったのです。目が疲れるという理由らしかった。

 

■ 見えなくてもよいのかも

母の目は、其の後緑内障などに掛かり手術をして、視力は更に低下したけれども亡くなるまで、買ったメガネを後生大事にしたままでした。

目が良く見えない方が、人の生活をうらやむことの多かった母には良かったのかも知れないと、やせ細って皺だらけの顔を想いうかべながらここから思う。