四畳半ひと間の十室ばかりあるアパートのひと間に住んでいた時、その敷地の奥に、独立して十畳部屋の平屋の離れがアパートのオーナーによって建てられました。
その部屋にオーナーかその身内が住むのかと推測していましたが、違っていました。近くにある大学に通う女子大生が入居して来たのです。トイレもその建物には付いており、わたし達のアパートのように共同使用はせず、家賃もわたし達とは格段に高かった。
これはすでに三十年も以前の話です。
■ 自殺
この女子大生の部屋には、同級生らしいメガネを掛けて細身勝ちの中肉中背の男性を見かけることがよくありました。
女子大生が入居して半年を過ぎた頃に自殺騒ぎが起きました。
ガス自殺を図ったのでした。どこからか漏れて来たガスの匂いであるかに気付いたのは、わたしで換気が一番必要であったことから、まずは窓を割り、部屋に侵入してガス栓を止めることが出来た時には、冷や汗と緊張の連続でその後はへたり込んでしまいました。
そこに女子大生は倒れていました。部屋のあちこちに洋酒や日本酒の空きビンが転がっていました。これを飲んだことは相違ないのでしょう。しかし、自殺を考えて心に勢いをつける為に飲んだものなのか、あるいは出血しやすくするために飲んだのかは、判断は付きませんでした。
手首から夥しい血が流れ、畳の上に流れを作っていました。わたしは、動転しながらも、なんとかそこにあった長めの布巾を裂いて手首を縛り、救急車を手配しました。
女子大生に意識はあり、しきりに付き合っていたらしい男性の名を呼んだ。
『まさおさん。まさおさん』
女子大生は、うわ言のように小声で名を呼び続けます。この男性が絡んでいることは、間違いのないようでした。
■ 救急車
近所が騒然となったのは、救急車が来てわたしの肩に女子大生が寄りかかって出アパートを出た時のことでした。小柄なわたしはその長身の女子大生を支えて歩かせるのには、背伸びをしても不十分な程でした。
救急車がアパートの前に寄せるには、前の道は狭すぎ、救急車が入れるところまでの凡そ五十メートルをこのようにして歩かねばなりませんでした。その道すがら尚も
『まさおさん、戻って来て』
などをか細い声で呼ぶのでした。
すると、近所の人達の一人が、わたしに近寄って来て
『君がまさおさんか?もう、沢山だ。この住まいから出て行ってくれ』
というのです。わたしは、
『僕は「まさお」ではありません。彼女とは何も関係がありません』
と彼女を支えて歩きながら否定するのですが、
『いや、「まさお」に違いない。現に名を呼んでいるではないか!』
と信じようとはしません。わたしは、それ以上に反論するには疲れており、黙り込むしかありませんでした。
■ 救急車で病院へ
ほうほうの体で広めの道に出た時、救急車が入って来るのと殆ど同時であったかと記憶しています。
『どなたか、付添いをお願いします』
取りまいている人たちは互いを探る様に視線を交わしますが、これまでの顛末には総てわたししか関係しておらず、わたし以外に救急車に乗る者は居ません。
映画のラブストリーのような綺麗な展開には至らず、何が何だか分からないまま、付添人となり、手術室まで入ることに至りました。そして、何針も縫う手術の場にも立ち会うことが避けれれませんでした。
本日はここまで。明日続きます。