聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

救急車に付き添いで乗った三人目の人 2

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画像出典:carme

女子大生は、ストレッチャーに乗り、救急車に収容されて、わたしも同乗しました。救急隊員が、搬送できる病院を問い合わせている間に、わたしの横の隊員が酸素吸入や点滴を女子大生に付けているのを、何か映画の一幕のように狭い横長の椅子に腰かけてわたしは呆然と見ていました。

 

■ 病院に到着

車は、搬送先が決定したのかけたたましいサイレンを鳴らしながら、走り出しほぼ止まることなく十分程を走り、京都市を南北に貫く鴨川の畔(ほとり)にある病院に到着しました。

 

これまでからその病院の建っている前面道路を幾度となくバイクで通ったことがありましたが、この時初めてこのような大きな病院があることに気づきました。前を通っていて、視界に入っていたのかも知れなかったが、その建物が、病院であるとの認識はまるでありませんでした。

 

既に、車に乗った時に仄かに漂っていた闇は、既にとっぷりと落ちおり、古びた病院に入る時には、何か薄気味悪い思いがしました。

 

■ 病院にて

病院に到着するとそこにはすでに二人の看護婦(看護師)が待ち構えていて、慣れた所作で女子大生の乗ったストレッチャーをある部屋へと入れました。その部屋は手術室らしかった。なぜかわたしも部屋に導かれれた。わたしが、その部屋に何故入ることになったのかは、今もってしても、理由を見つけることが出来ていません。

 

通された部屋で、手術女子大生自身が付けた手首の傷や割れた瓶で切った足裏などの縫合を行いました。局部麻酔が効いているいるのか、その間の処置にも彼女は何の反応も見せません。医療用の曲線を帯びた針に、麻ボタン付け糸のような太目の糸で、まるでカバンを縫うように傷口を縫合していきます。

 

わたしが位置からは、女子大生の足の裏だけが見え、頭は向こう側にあって、その表情を伺うことは出来ません。

 

女子大生の血の気の失せた足裏を見ると、まるで人のものとは見えず傷口からも出血はありません。白々としたそれをわたしは、顔をそむけたくなるのを抑えながら、しかめっ面で見続けていました。

 

■ 処置が終了

わたしのしっかりとした記憶は、手術が終わり医者が

『もう大丈夫ですよ』

と告げられた時までで、そのあとは危うい。今、記憶を辿っても、幾通りかの場面が浮かぶのですが、それが舞台の筋書きのように幾つも浮かび、どれが正しくてどれがわたしの創造の物なのかが判然としない。それに何しろ、既に三十年以上も前の出来事なのですから。

 

それまでの気の張りが一挙に弛緩し全身に覆いかぶさってわたしも手当てが受けたいほどの疲れを感じていました。

 

病院が出した車に乗り込んだまでは、確かなのですが。

 

■ 其の後の女子大生

その後、女子大生は何事もなかったように、そこに約一年近く住まい、わたしも近所の人からの要求のあった「出て行ってくれ」にも出て行きはしなかった。また、近所の人にはその後幾人も出会うことがあったけれども、誰も当夜のわたしとは気づかないままでした。

 

■ 会食

女子大生がお礼にわたしを会食に誘ってくれたのか、あるいはわたしが女子大生に興味を持って誘ったのかは覚えていない。ただ、女子大生と一度だけ会食を持つことがありました。

 

近くで見ると、女子大生は長身で平べったくて、べったりとした丸顔の糸を引くような眼を持った女性でした。笑うと口元にかすかに出来るエクボに色気がありました。が、わたしの好みの女性ではありません。その裏返ったような声も好きには成れそうもなかった。

 

■ その後

その後は、まるで記憶がありません。自殺まで決行した「まさおさん」なるうわ言のように呼び続けていた男性とは、よりが戻ったのか、それを機に別れたのか、はたまた、別々に卒業して巣立ったのか何も知らない。いつの間にか、住まいを引き払っていなくなっていた。