聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

卵うどん

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画像出典:味の素

 

うどんの玉を買って来て、自宅でうどんを料理するとするなら、具は何にしますか?

 

市販のうどん用の甘い揚げパック、スーパーの天ぷら、とろろ昆布あるいは生卵を落とすという、非常に安価で済む具を上げることが出来ます。専らこれが我が家では主流です、溶きたまごはせず、ママに落とすだけ。

 

■ 冷えている

卵は、冷蔵庫に保存していますので当然によく冷えています。それを煮えたぎるうどんの鍋に中途から落とすのですが、卵自体が冷え切っておりますので、そう言った中に落としても、なかなか固まりません。

 

強い火加減ですと、白味の沸騰で石鹸の泡か汚れた川の淀みに浮かぶ芥のようなものが出来てしまいます。要するに灰汁(あく)です。それを出ないような火力で調整するには、せっかちなわたしは待てない。

 

そこで、白味が固まり始めた頃に

『良し出来た』

といって、鍋からどんぶり茶碗に移す。しかし、それはようやく白味が固まり始めた頃か、白味だけが固まった程度で、卵の中心の黄身はそうでもない。

 

黄身は、固まると表面が少しだが、白みを帯びていて来る。それを更にどれ程に煮て固めるのかは個人の好き好きではある。が、黄身の中心部分までは固まらずに、ややとろみを残しているというのが、わたしの好み。

 

■ 急ぐと

ところが、出来上がるのを待てなくて火を落として、どんぶり茶碗に移してしまうと、黄身のほんの外側部分のみが固まってはいるが、その大半以上は全くと言っていいほど固まってはいないということが、わたしの場合殆どです。

 

いい加減、待つという辛抱が出来ないものであろうかと、わたしがわたし自身を怪訝に思うほどであります。これまでの失敗が活かされていない、と一人嘆くばかり。

 

あ、そうそう、昼はわたしの分はわたしがつくるのです。

 

■ 食べる

しかし、兎も角も出来上がったものをフウフウ言いながら食べる。うどんと、固まった白みを黄身から少しづつ剝ぎ取っていく。その時、黄身が自分の思う固さに無い時は、まるで水の入った風船が萎んだ時のようにブヨブヨとして、うどん出汁の中に浮かんでいます。

 

それをさてどのように食べたらよいだろうか?

 

思案のしどころです。ブヨブヨしたまま、口に一気に啜り込めば、その熱さで口の中が火傷を負いかねない。しかし、潰してしまうとうどん出汁の中に散逸してしまう。勿論、レンゲで掬い取れば良いのだが、うどんを食べる時にそれを使う習慣が我が家にはない。

 

かくして、慎重にどんぶり茶碗に口を付け、出汁の温度を伺い、プカプカと浮かんでいる黄身を口の中に吸い込むか、もう、出汁が熱々のときには、潰して出汁が黄身だらけに変色して、全部は吸えないのであきらめるかしかない。

 

などと言う、いかにも馬鹿げて下らん格闘を週に一度はしています。