「親の恩は子を持って知る」とは、親の有難さは子を持ってわかるという事であります。
しかし、実際には子育ての最中のような歳では心底の有難さは感じないものです。確かに時々において、親ってありがたいなと思うことが無いではないけれども、それはあくまで一時の助けのあった時のことの感謝で、喉元を過ぎれば持続することではありません。
■ 親の有難さを知る歳
想像するに、親の有難さを心底分かるようになるのは、実は親が死に、今度は自分が死にゆく立場に立った時であろうかと思います。
子は育ち、親を他人と同様に殆ど必要としないでも、生活が成り立っている。今は余生を生きるのみ、その頃にそれは、親の有難さがしみじみと感じ出す時でありましょう。
■ おちおち
自分たちが子の重荷になるかも知れないと思う頃になると、初めて親の有難さが後悔に似た懺悔の気持ちも湧いてくる。従って子から感謝をされることを期待するなら、体が不自由であったり、不如意である時に至るまでにおちおちと生きていられない、ということでしょう。
■ 出来ること
親の有難さなどは強いて感じなくてもいいです。自分も親と同じ道を歩むでしょうから。ただ、有難さを感じる時になって、親に何かをしてやれなかったと悔やむことが少ない方が、良いとは思う。ちょくちょくと親に善行を積むことは悪いことではない。
まあ、子は親を踏み台にして生きて行くのが生き物の本来の姿ですので、恩を感じたり、有難いとは必ずしも感じる必要ではないかも知れません。親が子を思う気持ちは、人間以外の動物でも同じに見えます。が、子が感謝することはありません。親が子を育てるのは、当然のことであるからです。
ただし、子も自身が親となって子育てをする時のも同じ立場になっても、同じことがが言えるのです。まあ、いろいろなところで感謝の気持ちが起きるのは人間としてごく普通の感情なので、それはそれで良いことではりますが、だからといって、親が子に恩を求められることではありません。