妻の料理は、決して不味いということはありません。しかし、又同時に特別に旨いとということも殆どに渡りありません。では、よその家の料理はどうなのだろうかと思う。しかし、わたしは小さな歳の頃から、母の料理以外を殆ど食べたことが無いのです。
■ 機会
よその家の食べ物を食べる機会がなかった訳ではありません。母は話好きでその会話の中にどんな展開からなったのか、食べ物を御裾分けして貰って帰ってくることの頻度は高かった。
また、人に相伴(しょうばん)となって招かれたり、親戚の家に遊びに行ったりして、その機会はいくらでもあったのです。
しかし、わたしやわたしの兄弟はそのよその家の料理を殆ど箸を付けませんでした。付けなかったというより、付けられなかったと言った方が適切です。お腹が空いている時は、むやみとコメご飯ばかりを頬張る訳です。
勧められて、切れ端のような手料理の端くれをご飯にくるんで、殆ど飲み込むようにして胃に落とし込んだものです。その時間が苦痛でした。
■ 何故よその家の食べ物は食べないのか
我が家に豊富に食べ物が溢れていた訳ではない。のにどんなに空腹でもそれを口に出来なかったその理由は今もって明確ではありません。ただ、何か思いもしない程の不味いものかも知れないし、未知の味かも知れない、あるいはその料理に何か得体の知れないものが含まれている気がしてならないのです。
また、その頂き物の料理が誰によって作られたのか、どのようにどのような場所で作られたかも知れないことが、食欲を削いでしまうのです。たとえ、よく知っている近所の女性の作ったものであっても、どうしても食欲が湧かないのでした。
それを、母は
『どうして頂かないの。美味しいよ』
と、箸を付けながらわたし達に怪訝な顔をします。
『うん。いいや』
と言ってしまうのです。そして、さも美味しそうに食べる母を、何か気の毒な人のように見つめ返すのでした。実際に美味しいのかも知れないと思う、食べず嫌いだけではないのかとも思うのですが、何故か食べられないのです。
そもそも、料理の材料が明確にわかるものでなければどうにもなりません。例えば焼き魚、野菜の加工がなされていないサラダ、トマトなどでなければ何か怖い。
■ そして今も
そして、今もその傾向は改まることがありません。妻の作る料理が多少の不味さがあったとしても、よその家の料理がどのように美味しそうでも、やっぱり妻の料理の方を選んでしまうのです。
だからといって、料理店の料理やコンビニの弁当はごく風つに食べることが出来るのです、おかしなことに。
母と同じように妻はそういうわたしを、訝しがる。