「好きこそものの上手なれ」とかいう言葉があります。好きであると自然と上達して上手くなるということでしょう。しかし、それは好きなことを夢中になった結果上達しはしたが、それが才能であるのかと言うと、ちょっと分からなくなります。
■ 才能は
才能は、好きから始まることの過程で発現してくるものであろかと思います。好きで始めても、それが好きのままであり続けるか人はたくさんいます。しかしそれが、昂じて新しいものを開発するとか発明に至るとかに至ると、それは才能と言えるのかも知れません。
才能は、好きで始めたことが原点で誰にでもその芽はあると思うのですが、好きのその更に一歩を突き破り、独自の視点を持ってそれを突き詰めて進むことにより、運良ければ発現するものでしょう。その行くその先は、なかなか困難が待っています。思考錯誤を繰り返りながら、へこたれずに努力し続けて行くしか開花しないからでしょうか。
それが出来る人に、才能は開花します。
■ 兄
兄は中学校に入った時から、電気の事が好きでよく勉強もし、理解もしていろいろな実験を開けても暮れてもやっておりました。従って、就職もその関係から工場勤めを選び繊維機械の制御関係の仕事につきました。わたしは兄に多大な期待を抱いておりましたが、そのような気配もないまま、定年まで職場を変わることなく勤め上げました。
■ 弟
弟は、機械が好きで単車の修理とか、壊れた機械を復活させるような器用なところがあり、その道に就職しましたが、三年程度で辞めて、機械メンテナンスの自営業を営んでします。
二人とも、好きな道に進みましたが才能が開花したことはありません。その道で食っていけるのならそれが才能ではないかという指摘もあるでしょう。それも間違ってはいませんが、今少し上を目指して欲しい気がしたのです。
■ わたし
一方わたしは、二人の学校から帰った後の好きな事への没頭を、半ば呆れ半ば羨らましかった。わたしは、二人を横目に本ばかり読んでいたことが多かった。特にしたいことも興味湧かず、唯ぼんやりとして時を過ごしていただけでした。
就職もしたいという会社もなく、どこでもよかったけれど女の子の沢山いるところがいいといつも思っていて、就職情報で特に最優先に選んで、実際に就職できた時はうれしかった。それだけで、特にそれによってよかったこともありません。