今でも、学歴主義は幅を利かせていますが、社会に出て働き始めると学歴が左程役に立たない事が解ると思います。それは、一流大学に受験する人も、また、卒業する人も非常に多数に上るのですから、それらの人の総てが数少ない会社の役職に就けるわけではないのは誰にでもわかって来るからです。
むしろ、大多数の人がいわば平社員かその一つか二つ上の役職について、その後は殆ど変わりない位置で定年に至ると言ってもいいでしょう。一つか二つ上の役職と言うのは毎年入って来る新入社員やその少し早めの入社の社員を指導する立場上必要な地位で、ここまでは、大抵の人が努力で到達可能です。
しかし、それ以上は実に狭き門となります。何しろ、社内から優秀な人材を育て上げるような事をしなくても、どこかの会社から引き抜いて来れさえすれば、用は事足りるのです。
この事実を知ると、大抵の一流大学の出身者も、熾烈な仕事の成果を上げて地位を上げて行こうという気概のある人は、限られてきます。
『オレ、そこまでして出世しなくてもいいや』
『オレも』
と思ってしまうわけです。娘の会社は未上場ながら大手の外資系の会社です。同期生である日本屈指の私学の出身者らが、そのように言っていると、その不甲斐なさを嘆いておりました。
■ 確かに
確かにそのようにあくせくして、出世をしなくても、生涯に渡って今のまま食っていけるならそれでもいいと考えてもおかしくはないでしょう。福利厚生は整っており、土日や祭日は必ず休みで、しかも残業は厳しく規制されていますし、休暇取得も義務付けられています。
そのような恵まれた労働環境に居れば、そのように考えてもおかしくはありません。
昭和のような、過労で自殺するというようなことは殆ど考えられません。それは、わたしの目からでも、”いい会社”であります。
■ しかし
しかし、平凡な一会社員として生涯に渡って今の会社に務められたらの話であって、会社が今後50年以上に渡り、平穏無事に存続するのかどうかは誰にも分りません。会社の経営者、株主にも分かりません。おそらくは、会社が窮地に立たされることが一度ならずともあるに違いありません。
その時、自身が会社に必要な人材であると自信があるでしょうか?妻子がいて、転職を余儀なくされることにはならないでしょうか?
■ 昭和
昭和の時代は、過激な競争社会で会社の役職も生え抜きを抜擢するのが一般的でした。会社も成長盛りであり、人手不足も深刻でした。従って、人材がおらず、出世も会社の業容拡大と共に十分に有り得えたのです。
しかし、今は人材にもグローバル化が進んで、日本国内の優秀な人を引き抜いて、課長とか部長に抜擢することもあれば、社長を海外から招聘するなどと言うことも極普通に行われるようになりました。
■ 出世より
それが日本のサラリーマンにも知れ渡ると、出世などどうでもいいという考えが、広まっても仕方ありません。
■ 手に職も悪くはない
一流大学を出なくても、専門の各種学校のように、理髪、料理、美容、不動産資格などの資格が取るなら、そういう職も悪くないなと最近は思います。資格と実務経験があればどこに行っても雇って貰えますし、自分で事業を始めることも出来ます。
生まれた土地を離れずに、勤め結婚し暮らすことも出来ます。
この頃、そのように思えてくるようになりました。良い大学でなくとも、手に職があればいいと。