聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

お金の話も教えるべき

 

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画像出典:りそなグループ

 


欧米などの先進国では、学校教育の段階でお金に関する勉強も教えるということを聴きますが、ほんとうなのでしょうかね。詳しくは把握していませんが。

 

お金のためにだけ有名大学に進学する訳ではありません。自分の持つ夢や希望に沿って勉強をしようと言う人も居ることはいます。しかし、そう多くはないでしょう。大多数の学生のために、お金に関する授業をすることは意義があると思います。

 

■ 日本の学校

本の学校では、資本主義経済を教えることは教えますが、日本の働き手の大多数を占めるサラリーマンの資本である体を提供しての勤務を、どのように提供先の企業と交渉すれば良いのかを教えません。稼いだお金を労働以外で増やすというようなことになるとまるで教えません。

 

自分の教え子が、少しでも名の通った大学に進学するために、よい高校に進学する、そのために塾に通ったり家庭教師を付けたりするのは、結局のところお金を少しでも有利に得るためである事を教えません。

 

学問をする崇高な学校に、薄汚れたお金の教育などと言うものを、日本の教育関係者は断固拒否なのでしょうか。

 

■ 教師も分からない

お金の勉強をしたことが無いままに教授や教師となっているので、教えようがないのかもしれません。大抵の教師は、お金に疎いものです。

「立派になれば自然とお金も付いてくる」とも言いますが、誰であっても当てはまる箴言ではありません。我々が知りたいのは、特殊な能力や才能がある人の場合ではありません。ごく平凡な我々についての一般的なお金の知識、わけても儲か方や稼ぎ方です。

 

教師も、公務員であることが多いのも、それを助長している可能性もあります。一度社会人として民間企業で働いた経験がある人が適任かも知れません。

 

■ お金の話をすると

日本では、お金のことを言うと、

『あの人は、二言目にはお金の話をする』

などと陰口が出ますし、

 

『給料はいくらもらえて、どんな手当てがあるのか』

と、まずは働いてもいないのにお金の話を企業に聞くのは、禁句のようです。しかし、一般の企業経営者や個人事業主ではない人は、体が資本です。企業では資本金にあたるものです。いわばその資本である体を提供するのですから、どんな見返りがあるかは、聞いて当然です。

 

また、サービスで残業するなどと言うことも、本来有ってはなりません。労働を提供するからには、必ず報酬が発生しなければなりません。ただ、個人事業主の請負の場合は少し違い、請け負ったことが完遂することでの報酬ですから、それが出来なければ報酬が得られないのは致し方ありません。

 

しかし、アルバイトやパートタイマーである場合は当然にその時間にその仕事場にいて、何らかの仕事に従事して居れば、その仕事が不出来でも目標に達しなくても労働の見返りは支払われなくてはなりません。

 

『それだけの金を貰っとらんから』

と言うのは正しい。そもそも、アルバイトに正社員と同様の品質を求めるなら、それなりの支払いがなければなりません。要するにお金です。

 

■ スキルアップの努力

しかし、お金の話を持ち出すためには、また転職するなら自分の資本である体以外に知識や技能の研鑽を行い、能力の向上もなくてはなりません。資格や実際の仕事の場で役に立つ能力を積み上げるのでなければ、転職を目指す先で

『いくらもらえるのか?』

とは聴けないし

『これだけのことが出来る』

くらいのアピールが出来なければ、確かにお金のことを聴くのはおこがましいかも知れません。従って、社会人になっても、自己能力向上につぎ込むお金は、立派な投資と言っていいでしょう。絶え間なく自己研鑽を行うべし。