わたしは、歯性(はしょう)とでもいえばいいのでしょうか、歯がとてもいい方でした。高校を卒業するまでは虫歯は一本もない優等生で、校医として来ている歯科医師からは、毎年褒められたものです。
それというのも、家が貧しく殆どお菓子を食べることがなかったからであろうかと、今も固く信じています。
■ ところが
ところが35歳を過ぎたある日、ガツンと頬を殴られたかのような鈍痛に襲われて、近くの歯科医院に駆け込むと、奥歯が見事に虫歯の末期であり、処置は直ちに抜歯する以外に手は残されていないと告げられ、且つ、わたしの歯がすでにあちこちにおいてボロボロ状態である事も併せて知ることとなりました。
晴天の霹靂とはこのことで、歯性が良いことに手入れが不十分であったことの祟りとなって表面化したのでした。その後は、残された歯の治療に通うこととなったのは言うまでもありません。
■ 歯科医師
わたしが通い始めた歯科医院は、院長が経営者でもいわゆる個人経営でしたが、余程腕が良いのか、待合室の壁には様々な資格証や表彰状の様なものが額入りで十ばかりかかっていました。
院長は、無口なせいか取っつきの悪いのが唯一の欠点で、自分の口腔の様子をこちらから聞かなければ何も話しては呉れず、治療用の椅子に寝そべったまま、工事は始まって終わる。
工事が始まる前に院長は、わたしの燕の子のように開いた口を覗き込み、
『あ、これは、、、』
とか
『うーん。これなあ・・・』
などと、さも大事そうにつぶやく。それを聞くとわたしも、何だか急に不安になって、
『で、どうなんです』
と聞きたいのだが、口には治療器具が差し入れられており、又、唾もたまっているのでその期を逃してしまう。
そして、何か甲高い音や、ガリガリと削り取る音などがしきりにして、最後に貯まった唾液を吸い取って、その器具が所定の位置に戻ると急に静かになって、
『おいおい、どうした』
と思っていると、
『お疲れさまでした』
と言って、若い女性の声がする。そして電動の倒れている背もたれを起こしてくれる。
『口をすすいでくださいね』
それを済ませて、口の中の容態を聴こうとしても、もう院長はさっさと自分の部屋に引き下がってしまっている。
『まあ、今度聞けばいいか』
と思いなががら、次の機会にも聞きそびれる。腕は確かなのでいいのかも知れないと、聞きそびれた言い訳をわたしがわたしにしてしまう。
もう少し、説明してくれてもいいだろうに。SNSではその指摘もかなりあるが、院長は少しも見ているのかいなのか知らないが態度は改まらない。