聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

人の行く裏に道あり花の山

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画像出典:カプコン

「人の行く裏に道あり花の山」は株式投資をやっている人なら、恐らく大方が知っているであろう格言であります。要は、多くの人が挙って良いと言って売買するような銘柄には、利がないということでありましょう。むしろ、その反対側にこそ投資の旨味はある、と説くものです。

 

それは、確かに株式投資に限らず人生の生き方にでも当てはまりそうではあります。しかし、そういう事が可能なのは、それなりの目利きでなくてはなりませんし、何よりも人の行かない道を一人でリスクを取って歩む勇気がなければなりません。

 

■ その勇気

勇気だけで人と違う道を歩んでも、花の山に合うことは稀でしょう。むしろ、その逆で抜き差しならぬ状況に追い込まれることは必定です。やはりそこに人とは違う嗅覚があり、自分なりの目算は必要でしょう。それはどうするのか?

 

しかし、まあ大抵の人が最初の勇気が起きません。

 

■ ある逸話

誰かの小説だったか随筆であったか殆ど記憶に残っていませんが、ざっくりと言えば次のような逸話を読んだことがあります。非常に薄い記憶中での記述ですので、大幅にわたしの曲解や記憶違いがあるかも知れません。

 

ある男が、人生の歩むべき道を求めてある高名な人の元を尋ねて行きます。すると、門は開かれていて、そばに門番が立っています。

ある男は、中に通して欲しいと門番に申し出ます。しかし門番は

『お許しが出るまでは、ならん』

と答えます。ある男は

『それなら、お許しが出るまで待つ』

といって、何となんと何十年と待ちますが、お許しは出ません。しびれを切らして、

『まだ、お許しは出ないのか?』

と聞きますが、門番は常套句的に

『まだ、でない』

と答えるばかり。ある男も門にたどり着いたときは、若かったけれども、もうそこそこの歳になっていました。

 

ある男は、決心します。たとえ門番に咎められ様とも門の内に入って行こうと。そして実行しました。すると門番は、ある男を何ら咎めることもなければ制止もしません。

 

中に入ると、高名な人は笑いながら

『門はいつでも開いていた。入ろうと決心すればいつでも入れた。お前はその勇気を持たなかっただけだ』

と答えました。ある男が門にたどり着いた時から、勇気を持って問の中に入っておれば、それ程にも待つことがなかったのです。

 

■ 実際の話

人の行かない道や自分の思う道を勇気を持って進んで行く時には、この逸話のように人の斟酌を超えて行かねばなりません。「変わり者」「あいつは、阿保だ」と言われることをまずは覚悟して進まねばなりません。

 

それは孤独で、孤立無援かも知れません。

 

しかし、人生に生きがいや遣り甲斐を求めるなら、人と違う道をいやでもやるかねばなりません。その道に入るまでに、どんな些細な日常であっても、しっかりと平凡な生活というものを把握しそして、今いる道を鋭く観察して熟知し歩むべき道を熟考して置かねばなりません。そうでなければ、人と違う道を一歩入り込んではみたものの行きも戻りも出来なくなるかも知れません。

 

こんな時代でも、又、この先の時代でも生きがいを求めるなら多くの物を残念しなければならないのはいつの時代であっても同じです。

 

もし、生きがいを求めないなら、それはそれで構わない。人には、その人の数だけの人生はあるのですから。しかし、それならば、生きがいが欲しいと言わない事、求めないことで良いでしょう。