聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

トールペイント

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妻の作品ではありません
画像出典:nukumore

 

妻は妻の友人と共に、トールペイントを習っている。もう、少なくとも10年は下らない年月を経て来ている。しかし、妻は今も習うだけ。

 

これ程に習ったら、後は

『こんな風に書いたらどうだろう』

とか

『こんな絵柄で描いたら面白いかも知れない』

というような考えは毛頭ないようである。

月に一度、教えてくれている先生なる人物の家に行って、何ケ月かに一度は新し絵とそれを描く土台を与えられて描くだけである。例えばスリッパとか小物入れ、小さな置台など様々な物に。

 

妻の絵筆は決して悪くはないとおもう。

 

しかし先生が書いたものと同じものを見て書くだけで、それ以上の発展を本人も友人も望んではいないようだから、要するに集まって人と話をするのが目的なのだろう。わたしなら、こんな図柄で先生とは違ったものを書いて見たくなるのだけれど。わたしなら、回を重ねる毎に、たとえ数ミリでも自分が成長出来ていないと自分が腹立たしくなるのに。

 

ただ、わたしの考えを妻には押し付けない。人それぞれに価値観は違うものだから。

 

それに、月に一度の気晴らしになるのなら良かろう。

先生の家までの2キロほどの送迎は、わたしがする。送って行って3時間程してまた迎えに行かねばならない。友人もわたしの家までは自転車で来てわたしの車に同乗するので、その車の中でも、二人に会話が途切れることはまずない。

 

■ 生徒

先生なる女性の生徒には、わたしの妻と友人の外に、3-4人がいる様子。ただ、習う曜日が違うのか、余り見かけない。先生には、わたしの娘と同い年の男の子がという。だからといって、間柄には少しの関係もないが、年頃の子供であってみればそれなりに話が合うようで、妻はそういうことで話をしたことをわたしに話して呉れたりするが、大抵は

『へえ、そうなの』

位の、生半可な返事を返すものだから、甲斐も無くその話は発展せず直ぐに鎮火してしまう。

また、そのわたしの返事に、不満そうでもない。要するにその日の教室での会話で、妻は十分に満たされているのだろう。