わたしが働くようになって、親に仕送りしたお金が、そっくりわたしのために貯金されていた。わたしは、それを知って初めてわたしは、親の苦節を助けていてやっているという、思い上がりをへし折られた思いがしました。
わたしは、その時、自分の思い上がりにさめざめと一人で懺悔した。
親とは、かくもありがたいものであり、ずっとわたしより広い愛情を有しているものだと気が付いたのです。親は既に年老いており、皺くちゃの顔をして、そのお金を差し出してくれたものでした。それがわたしの結婚式近くのある日でした。
無論、わたしは
『いらないよ。使ってくれたらいい』
と一度は押しやりましたが、甘いお菓子を目の前にした子供の様に、最後は受け取ることとしました。
■ わたしも
わたしも、自分の子供が働き始めた時から今日まで、毎月家計の足しに入れてくれている3万円をこれまた同じように、本人には告げずに子供の口座に入金し続けている。そのことを勿論、子供は知らない。
親となると、親がしてくれたことの同じことをついついしていますものですね。
このお金は、子供が結婚する時には通帳のまま渡すことになるでしょう。きっと喜んでくれると思う。その日まで、子供が同居している我が身を居づらくしないように、知らん顔をしていることとしましょう。