わたしの頭は歳にはふさわしくなく?殺風景です。
或いはそれを人は、「ツンドラ頭(あたま)」とか「なかなか禿げている」と呼ぶこともあります。その呼称はわたしにとって多少の抵抗感はあるが、おおむね妥当です。
こうなると、モンゴルの広大な高原の様で、どのように工夫をしてもふさふさとは行かない。毛生え薬も効果なし。不毛ではないが手の施し方法が分からない。あるいは、ないのであります。しかしながら、「メンテナンスフリー」であることはとても快適です。
■ 良いこともある
まあ、見てくれは確かに良くはありません。いかにもそれらしい鬘(かつら)を被ってもいいのですが、そこまでする理由がありません。人の目にはダダ分かりの鬘は、格好の笑いを提供出来るので、社会的には悪くはないでしょう。しかし、それだけで、お金にもならずあほらしいので、被りません。
しかし、わたしのような「秋の田の刈穂の」後のような頭は、お金がかかりません。洗顔クリームが頭の頂(いただき)まで及んでも風呂上りに問題が生じる訳もありません。シャンプーなど血豆ほどでたりますし、リンスは言うに及びません。
頭を、ドライヤーでガーガーしなくても済みますし、バスタオルも乾いた部分が3割は残ります。整髪料もいらなければ、櫛もいりません。
まあ、良いことが多い目ですが、損なことは大きく上振れする歳に見られることでしょうか。まあ、それもいいこともなくはないのですが。
■ 若い時は沢山生えていた
わたしも若かりし時があり、その時には持てあますほどの毛量がありました。くせ毛でもあって、長く伸びると毛の先っぽ近くからくるりとカールするのです。どんなに押さえつけても、暫くするとクルリ。
更には、ペチャっともなる毛で、まるで取って付けた鬘(かつら)のような塩梅になるのも随分閉口しました。水分が含みやすい毛質なのでしょうね。
いつの間にか白髪が目立つようになり、同時にそれらの多くが無力にもなって、抜け落ちて薄くなったと思われる。今はもうヘロヘロになった髪が微風で揺らぐ感覚がなかなか楽しい。赤ん坊の秒に細く老人の様に少ない毛ではあるが。
■ 頭が薄くなると
頭が薄くなると、男は髭を伸ばしたくなる。頭がフサフサであったり、それが成り放題になった人が伸ばす口ひげや顎髭はちょっと見苦しい、とわたしは思う。頭が薄くなった人が口ひげや顎髭を伸ばすのは頭への郷愁があるからで、わたしとて同じだがそれをもって4-5日伸び放題にして、髭を伸ばす様子を見せると家族の非難がかまびすしい。
凄くではないが、そこそこにあって居ると思うのですがね。