時々テレビに老人ホームの日常の生活の様子やお笑い系の若手芸人が、慰問に訪れるなどの場面を見かける事があります。
そして、その場の老人たちのホームでの暮らしぶりを知る事ができる、数少ない時間でもあります。ホームでの普段の老人たちの楽しみは、ゲームや書き物、何かの物の手作りなど。ある一定のカリキュラムとして存在するようですが、強制ではないようで、その多くの楽しみ方はテレビを見ることでしょうか。
老人ホームの個室にもテレビはありますが、広いサロンのような場所に多数の人が集まって、見ることの方が多いようですね。そしてその場にいる人達の中には、例えばお笑いの番組を見ている時に、全く笑わない人も結構な数でいます。
■ どういう場面なら
笑わないというより、仏頂面でいると言う方が適切な表現かも知れません。そういう人たちは、どんな場合でもそうなのか?
といえば、そうである事もあります。それは何かの病気である事が多いので、致し方はありません。
しかし、そうでない人の場合は違います。
つまり、テレビ番組でも慰問に来てくれたお笑いの芸にも、笑い出したくなる場面がないのです。大抵のお笑いのネタは若い人向けですし、時事を元にした題材にしても用語が端折られていて分かりづらい。
更に、立て板に水を流すように間断なくしゃべり通したり、無暗にドタバタとすることが多く、笑いよりその動きに圧倒されている、もしくはその動きに付いていけていない。
■ そこ、笑うとこ?
わたしの子供も20歳代半ば、テレビのお笑い番組を見ながら、ヘラヘラ笑っているのを見かけます。どんな面白い場面なのかとテレビを見やりますが、別におかしいとは思わない場面やセリフ多い。
しかし、テレビスタジオに見に入っている若い人も娘も同じところで笑うところを見ると、どうやら若い現在の人達には可笑しいらしい。
しかし、わたしにはそれが笑えない。
わたしより、ずっと年上の人であったら、尚更でしょうね。そういう人たちは、どんなお笑いやその他の番組なら、ニコリとしてくれるのでしょうか?自分たちの若い頃の仕事や遊びでしょうか、同世代の人の元気な姿でしょうか?
人によって違うでしょうが、総じていえば何事にも面白くもおかしくもない、というのが本当でしょうね。もう目新しいことには興味は生ぜず、古い事柄には遠い記憶に過ぎない。そんな気持ちでいるなら、どうしても仏頂面になるのも道理です。
■ 泣ける人は笑うことも出来る
笑うことが出来ない老人でも、泣くことはずっと多いでしょう。しかし、人の身の上話に涙が出来る人は、笑うことも出来る人です。テレビを見ていて笑わない人でも、泣けることが出来るなら精神は健全でしょう。単に、面白くないだけの事だろうからです。
しかし、笑うことも泣くこともない人は、ちょっと危うい。