「カツカツ」と靴の裏と道路の接する時の音がして、人影が不透明な窓ガラスの向こうを足早に通り過ぎる。
『誰だい?』
『大槻さんとこの娘さんよ』
とわたしの問に妻が返す。どうやら、妻は足音でわかるらしい。しかし、わたしはさて、どんな娘さんだったかな?まるで覚えがない。ないから当然に思い出せようもない。しかし、両親の顔はすぐに思い出せる。父親の方は、昔はよく売れたコメディアンに似ている。
濃い髭剃り後が目立つやや長丸顔で、顔を合わすと会話はないが、頗るにこやかに頭を下げて挨拶してくれる。
母親の方は、姉さん女房なのか、少し鄙(ひな)びたた顔をしていて、こちらも愛想が良い。
『あの両親との間の娘は、どんな顔をしているんだい?』
とわたしが聞く。
『どんなって、うーん』
妻はそれからほんのしばらく思案顔になったが、
『分からん』
と、頭を振って言ったきり。それ以上、話に乗ってきそうにはない。それを無理くりに、わたしが引きずって、
『どちらに似ていても、美人では無かろう』
といえば、くすんと笑った。
『美人でなくたって、女はやっぱり愛嬌よ』
『ま、そうだな』
それはその通りだ。この町内には美人はいないがねと言いそうになるのを止めた。
『どこかに務めているのだろうけど、いつもあの調子かい?』
わたしは、窓際まで行って持って行ったコーヒーをすすった。
『いつもあの調子、、、よ。どこに務めているのかは知らん』
妻は、席を立って流し台の前で、またくすんと笑った。
『毎日、あんなに急がなくてならないなら、もう五分早く出掛けられるようにすればいいのに』
というわたしのひとり言に、妻は珍しく相槌をうった。
『ほんとにね』
そうすると、通りすぎた大槻さんの娘さんの小走りのような、後ろ姿がさも有らんという風に思い浮かんで、わたしは一人笑った。