聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

もう五分早ければ

 

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画像出典:パブリックドメイン


「カツカツ」と靴の裏と道路の接する時の音がして、人影が不透明な窓ガラスの向こうを足早に通り過ぎる。

『誰だい?』

『大槻さんとこの娘さんよ』

とわたしの問に妻が返す。どうやら、妻は足音でわかるらしい。しかし、わたしはさて、どんな娘さんだったかな?まるで覚えがない。ないから当然に思い出せようもない。しかし、両親の顔はすぐに思い出せる。父親の方は、昔はよく売れたコメディアンに似ている。

濃い髭剃り後が目立つやや長丸顔で、顔を合わすと会話はないが、頗るにこやかに頭を下げて挨拶してくれる。

 

母親の方は、姉さん女房なのか、少し鄙(ひな)びたた顔をしていて、こちらも愛想が良い。

 

『あの両親との間の娘は、どんな顔をしているんだい?』

とわたしが聞く。

『どんなって、うーん』

妻はそれからほんのしばらく思案顔になったが、

『分からん』

と、頭を振って言ったきり。それ以上、話に乗ってきそうにはない。それを無理くりに、わたしが引きずって、

『どちらに似ていても、美人では無かろう』

といえば、くすんと笑った。

『美人でなくたって、女はやっぱり愛嬌よ』

『ま、そうだな』

それはその通りだ。この町内には美人はいないがねと言いそうになるのを止めた。

 

『どこかに務めているのだろうけど、いつもあの調子かい?』

わたしは、窓際まで行って持って行ったコーヒーをすすった。

『いつもあの調子、、、よ。どこに務めているのかは知らん』

妻は、席を立って流し台の前で、またくすんと笑った。

『毎日、あんなに急がなくてならないなら、もう五分早く出掛けられるようにすればいいのに』

というわたしのひとり言に、妻は珍しく相槌をうった。

『ほんとにね』

 

そうすると、通りすぎた大槻さんの娘さんの小走りのような、後ろ姿がさも有らんという風に思い浮かんで、わたしは一人笑った。