聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

エロ映画館

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画像出典:まいどな話



二十歳を過ぎた頃のわたしは、童顔の美少年でした(たぶん)。そして、熱い血潮のたぎる夢多き(たぶん)青年でもありました。また、社会勉強には人一倍熱心であったことから、大変頻繁に、エロ映画に通うことが一時期にありました。

 

一時期であったのは、その後、仕事の得意先に彼女が出来た事と、ある出来事からでした。

 

その肉感的で二つ年上の彼女を、どのように扱って良いのかが田舎者のわたしには殆ど分からずのまま、ままごとの様な付き合いを続けておりました。今に振り返ってみると、彼女はわたしをじれったく思っていたと思えるふしがいくつも浮かびます。

 

 

■ エロ映画

今はエロ映画など上映館があるのでしょうか。ネットが普及している現在、それは不必要となって廃れたのでしょうか。

 

わたしが、彼女との接し方を勉強(たぶん)するために、通った映画館では、作品が古かったのか三本で800円などと格安で、お金に不如意なわたしには途轍もなく朗報だったのです。

 

さすがに、一本の上映時間が小一時間とは言うものの三本も見ると段々あほらしくなるもので、トイレや飲み物を買おうと、中座することも度々でしたが、他の人と顔を合わすのが面倒でもあり、顔見知りが居たらバツが悪いとの思い合わさって極限まで我慢をすることも多かった。

 

 

■ ある出来事~トイレにて

しかし、トイレを我慢するのにも限界はあります。仕方なく行くには行くけれども、出来るだけ人目が少ないと思える、いよいよ映画の核心のシーンに迫る頃に席を立つという、何の為にエロ映画を見に来たのか分からないような事も渋々するしかなかった。

 

ある時わたしが、トイレに立って用を足していると、後を追うように人の気配がして、誰かがわたしの横にたった。他に、空いている小便器がない訳ではないのに、どうしてわたしの横なのか?とは思いながらも、そちらを見る事もありません。

 

ところがふと、わたしの耳もとが何かスースーする。それは吐息に様な生暖かい風の感じで、その方向に振り向くと、わたしより遥かに年上のオッサンがわたしの下半身を覗き込んでいました。そして、わたしを見てニヤッと笑ったのです。

 

まだ蛇口を開放中であるのを無理くりに収めて、わたしはその映画館を後にしました。そして、その後そのエロ映画館には二度と行くまいと決して実行しました。なかなか、いい映画を上映するわたしのお気に入りであったので、残念無念ではありましたが、あの不快な思いを申したくはありません。わたしの、趣味には男はありませんので。

 

その後違う映画館でも違う男性に、ほぼ同様の被害を受けて、エロ映画鑑賞することからの卒業時期を感じて、爾来一度も行っておりません。

 

思うに、あのようなオッサンは、エロ映画には興味がない、来ている殆どの人とは違う趣味の持ち合わせの人であったのでありましょう。その、餌食にわたしは成ったのでありましょう。