聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

人生をカスタマイズする

 

画像出典:プレジデントオンライン

 

人生は人それぞれに違うものです。それぞれの分野での能力も違いますし、性格や生まれ育ちも違います。

 

それにも拘わらず、日本人の多くの人が一流大学を卒業して、一流の企業に勤めるという一つのステータスを求め、標準的ともいえるコースの達成の為に、無理くりに自分をそこにはめ込んだ人生を作ろうとしています。

それは、取りも直さず、良い収入と安定した生活が送れると考えるからに他なりません。しかし、人生はそれ程単純ではありません。常に、落とし穴だらけの道を歩いているようなもので、安定した生活があると言える、人生コースなど本当はありません。

 

ゆえに、大学へ行くのも一流の企業への就職も人生の一つの選択肢としてのアイテム(生きて行くための必要な物=道具)に過ぎないと考えねばなりません。

 

「人の数だけ才能は有る」とは有名な言葉です。

それは、衆人が瞠目(どうもく=目をひん剥く)するような才能を必ずしも指しません。やりたいと思うことと、そこに向かって進む能力が才能で有るのであって、天才や秀才とは縁もゆかりもない言葉です。

 

鋳型(いがた)の様な、冒頭の一流大学から一流企業の型にはめ込まれること程不幸なことはありません。勿論それを求める人には、何の問題もありませんが。

 

やりたいことを出来るだけ早く見つけて、それに向かって進む。それを周囲の人が励ましたり協力すれば存外な隠れていた才能を発揮することもあり得ます。周囲が良かれと思って奨(すす)めてしまう標準コースの為に、子供の才能の芽を摘まないでほしい。

 

自分に合った人生を生きたいと思うなら、腕のいい大工が使う大工道具を自分の使いやすいようにカスタマイズするように、わたし達の周りにある教育や制度を上手く利用して、進みたい道に進むことを勧めるし、家族や親しい人たちは、それを手助けしてやることも希望する。

 

■ やりたいことが見つからない

やりたいことが見つからない人は、一定数います。

それは、若い頃のわたしも同じでした。人生の定められた幸福のパターンにはめ込まれた思考の人で、それが捕らわれの身か諦めとなっているだけです。どうせ叶いっこないと。

 

やりたいことは誰にもあるが、自身やお金がない、目的の為に失う何かに耐えることが出来ない、出来るか不安があって、ただ無気力になっている訳でした。

このような人は、その時が来るまで自問しながら生きるしかありません。が、やりたいことが見つかれば自分の実力を温存して、来るべき時に備えて欲しい。