聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

飛び降り自殺を見た

画像出典:京都市
本文と直接関係はありません。

 

生きている間には、人の死を何度となく知るものです。

それが、両親であったり、隣家の若い家族で有ったり、親戚の人間であったり、会社のかつての同僚であったりします。わたしと、歳が違わない人が、会社をわたしが辞めてから、数人が死んだことを知ったりすると、人生の旅路とはなんと儚いものであろうかと思います。

 

そして、わたしが若い頃に目の前で人が飛び降り自殺したのを目の当たりにした時には、強い衝撃で打ちのめされたものです。しかし、わたしはその時まだ若く、直ぐに忘れてしまいました。当時のわたしは他人の死に勝る生気があったのでしょうか。

 

しかし、この頃になって、それは亡霊のようにわたしに蘇ってきます。

 

■ それというのは

わたしが25歳ころの勤め先の昼休みの事でした。わたしは独り者でしたので、昼食は外食と決まっていました。昨日はどこそこだったから、今日はここにしようと、外食も結構面倒なものです。

 

わたしの勤め先は大きなマンション(共同住宅)の二階にあって、一つの住戸部分を事務所としていました。小さな建築設計事務所で、所員同士で昼食を採りに出ることは少なくありませんでした。

 

ある日、昼食を終えて事務所の戸を開けようとしている先輩所員を後ろで待っている間、ふと廊下から建物の外側を見た時の事でした。視界の上方から何かが真下に向かって落ちて行く瞬間を目撃しました。

 

わたしは、

『あ!』

と声を上げて、廊下から下を見に手すりに駆け寄りました。そして、下を見た。

何という事でしょう。歳の頃45ー6歳の小太りの綺麗な顔をした女性仰向けに倒れていました。女性は、逆Uの字型の太い鋼製パイプの車止めの上に落ちたようでした。

女性の衣服を付けた体に外見上の変化は伺えませんでしたが、顔は血が見ている間に引いて行き、微動だにしません。地上に落ちた時、何かの悲鳴や音がしたかどうか、まるで記憶にありません。

 

わたしは、直ちにそれが飛び降り自殺だと判断しこれを疑いませんでした。同僚も何事かとわたしの横に駆け寄りましたが、声が出ません。

 

誰かが電話をしたのでしょう、まもなく救急車が来て、女性は運ばれて行きました。

翌朝、事務所の所長がマンションの管理人に聞いた話では、最上階からの飛び降り自殺でした。靴が廊下に揃えて並べられていたと言います。

 

■ 死ぬ勇気

わたしは、これまで何度か死のうと思ったことはあります。しかし、決心して実際に行動に間際までは行ったものの、それ以上の勇気は出ませんでした。列車に飛び込むとか、わたしの目撃した建物から飛び降りるとか、首を吊るとかでこの世を去った多くの人達の様な勇気は今もありません。今後も湧いて起きそうにもありません。

それは、情けないような羨ましいような気もします。

人生は惨めでも、生きていてこそまた、また浮かぶ瀬もあるというものです。

死んでは、もはや何も起こり得ません。