結婚は、互いの生まれも育ちも教育もその他あらゆる環境も違う者同士の生活である。
その二人が、一緒に暮らして行くには、本来無理があるというものである。うまく行くという方が不思議なくらいと言っていい。
■ 暮らしていくと
一緒に暮らしていくうちに、
「こんな人とは思わなかった」
とか
「あのような考え方を持っているなんて」
などと言う何というか予想外の事が起きる。
それで、喧嘩にもなれば、嫌悪や侮蔑の感情も激しく湧きあがって来るというものである。しかし、元より二人はいわば白と黒とでもいうべき存在であって、お互いがそれを何とか押し殺して、白黒の御旗(みはた)のもとに生活をしている。
■ 中間色が出来る
しかし、それらを互いに理解し合い、許し合い、認め合うといういわば相互乗り入れの様な塩梅に少しづつなる。長く一緒に生活をしていると出来るようになるものである。つまり、それは白黒の境目にグレーの色合いが生ずるのである。
その色合いは相手への理解であり、思いやりであり、許容する心などである。これらが白くをの境をぼかして行くわけである。しかし、グレーを構成する中身の度合いを見てみると、殆どが相手への諦めでなかろうか。ここでいう諦めはポジティブな諦めである。
相手への思いやりは、この中から生まれてくるものでもある。
■ 本性は何ら変わらない
わたし達の、結婚相手とのいわば大いなる相手への思いの殆どは妥協と殆どの諦めであるという他はない。その部分が多ければ、白黒の境目はグレー地帯が大きいのである。だからといって、生まれた時からの自らが持って来た性格や学歴をかなぐり捨てたという訳ではなく、白黒のところに依然として根を張っている。
普段は、互いにグレーの部分で暮らしているが、本心である白黒部分は何とか抑え込んでいるだけで、何かのきっかけでグレーの部分を掻き消してしまうこともある。その衝動は常に互いにあって、虫の居所、健康の悪さ、ツキのあるなしで危うくなる。
■ 相手の言うことにいちいち反応しない
長く結婚生活を続けるためには、相手の「一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)」に拘らない、関わらないことである。早く言えば、相手の言うことを聞いてはいるが、聞き流している状態にあればよい。凡そ、30年くらい要するが。
相手が何か怒っているとか主張しているとかに、いちいち反応しないで聞き流すのである。
「また、始まったわい」位で良い。
勿論、重要なこと(その多くはお金)はそうであってはならないのは、言うまでもないが。