妻と娘が食料品以外の買い物に行った時、わたしは二人の背中越しに二人が品物を物色するのを見る。そして二人の片方が
『これ、可愛いな』
と言えば
『ホンマやなあ、カワイイな』
と相槌を打つ。
わたしは、それを見ていて
「どこがカワイイのかわからん」
と思う。思うが口には出さない。出すと
『オッサンには分からんやろな』
とまるで、タイムスリップして来た老人の様に見下されるから。
最近は、カワイイという言葉が乱用されて、ごくありきたりな日用品でも
『カワイイ』
を連発するのを聞く時、一体二人のカワイイはどんな根拠を持って言っているのかわからなくなる。カワイイとは無論「可愛い」であろう。けれども二人の言うカワイイの殆どをわたしは同意しかねる。
無論、不同意なのは殆どであっても、二人が「カワイイ」というもの総てがそうである訳でもない。わたしにとっても可愛いと思えるものも混じっている。その同意できる可愛さの基準をもってすれば、二人が日常的に「カワイイ」というものは、とても当てはまらないのではあるまいか?
そういう思いがわたしの思考の中でグルグルと回りこんがらがりもつれる。
■ わたしのカワイイは?
それではと、わたしも
『これ、カワイイな』
と、手作りの品を手に取って二人に見せると
『どこがー?』
と、頭を横にふる。やっぱりわたしがおかしいのか?それとも、どこに二人のカワイイにわたしのズレがあるというのか?わたしが推測した二人の「カワイイ」の基準であろう感覚で選んだものであったのに、にべもなく否定されると、センスが解らないのはどちらなのかますますわからなくなる。