聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

故郷に錦を飾ることもなく

画像出典:studyz

 

「故郷に錦を飾る」や「故郷へ錦を飾る」は一字違いですが、同じ意味あいです。

これらは、出世して故郷に帰ることを意味します。

わたしは、恐らく「故郷に錦を飾る」事は出来ないでしょう。しかし、その前に故郷は衰退しそのものも荒れ果て、村の人口は激減して、あれ程多かった昔の同級生の行方も知れません。同級生は既にわたしと同様に故郷を離れ、その先を今となっては手繰り寄せる糸口さえも掴めません。

 

若い頃には、大志という程でもなくともささやかながら夢や希望がありました。それは、世の中がどんどんと良くなるという漠然とした思いがあったのです。わたしも、一財を築いて果ては、左団扇(ひだりうちわ)で暮らすことも出来るのではなかろうか。

そんな根拠もない希望の様な思いが、何故かあって村を後にしたのです。

 

衰退した今の故郷の村から、故郷の定義をもう少し広げて町に変更して考えても結果は変わらない。地域全体が、地盤沈下のように長い年月をかけて地域の立ち位置を押し下がり続けています。もっとも深刻なのは、若い人がいない事。人がいないのは、仕事がないからです。

 

それはおそらくはわたしの知る限りの同級生たちもわたしとさして違わない立場であるのでしょうか。それともわたしが知らないだけでしょうか。

 

わたしの今は、日々の生活に追われ仕舞いの連続で、年月は密やかな水の流れの様に流れさる。その時の流れの中で焦る心を抱いて空しくあがいている。ただそれだけです。わたしの多くの村の同級生、中学時代の高校時代の同級生は今どうしているのでしょうか?

彼らの中に、大いに出世したという話も聞かない。メディアで見ることもない。息をひそめて、日々の生活と格闘しているのでしょうか。

 

わたしは、かつての同級生に無性にあってみたい気がしてなりません。