聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

モノづくりには誠実さが必要

 

ウズベキスタンタシュケントのナボイ劇場(日本人捕虜による建築)
画像出典:蔦信彦オフィシャルサイト

どんなものであっても、仕上がり具合だけを見れば、材料を吟味し、製造工程を丁寧にかけたものと、そうでは無いものとの比較では一見したところでは、何ら遜色のないものです。建築物や自動車などはその最たるものでしょう。

どこの国の会社が作っても出来栄えからは殆ど何も変わらないように見えます。それは内外装ともに言えることです。むしろ、見えないところに手をを抜かない、丁寧な仕事であるものより、豪華で洗練された感じがしたりすると感じる事さえあります。

 

しかし、それが年月を重ねるとその差は自ずと出てくるものです。

 

建築物が傾いたり一部が剥げ落ちたりしますし、果てはちょっとした地震にでも倒壊してしまうこともあります。

 

自動車では故障が頻発します。酷使に長く耐えられませんし、部品を交換しても再発は免れません。部品にも、それを寄せ集めて出来た車にもすべてが疑われ、小手先の交換ではどうにもならないのです。

 

■ 手抜き

建築の手抜き工事は、中国風には「おから工事」と言います。おから工事は鉄筋の代わりに竹材を持ちたり、コンクリートの壁の中に石や紙が詰めてあったりするものです。鉄筋そのものが殆ど入っていないという事もあります。

 

今般のトルコシリア大地震では、古い建物ではなく、新築や築の浅い物であっても倒壊しています。現地にも建築基準法はあるようで、震源地から少し外れてはいますが、同じトルコであっても殆ど倒壊していない地域もあります。

 

この地域では、建築基準を守るような厳しい行政監視があったと言います。自主的に基準を守ることが出来ればいいのですが、どの国にでも守らない人はいますので、その辺は行政が監視するしかないのでしょうね。

 

出来栄えだけでは分からないものでも、年月だけがその価値を判断してくれると言うことでしょうか。

 

日本が台湾の統治時代の建物でも、倒壊することなく現存しているものは多くありますし、ウィズべきスタンの首都にシベリア戦線で捕虜となった日本人が建てた、「ナポイ劇場」も、19年後の1966年に起きた大地震でも大きな被害が出た中で、殆ど被害が出なかったと言います。